どうも~酒は楽しくのみたいプロ独女みつまるです。
今日は「はてな」で話題になっている中でこんな投稿を見つけた。
飲み会で「女子のサラダ取り分け」を禁止する?!
実は未だに男尊女卑の文化を色濃く残している男性社会の構造だし、
多くに人が男女平等と理想や論理的には頭で思ていても
実際に無意識下での「男尊女卑」意識をひしひしと感じるしね。
でも、権利や自由を主張するために相手の行動を禁止しては・・
既に圧力であり、パワハラではなかろうか?
自分の主張を通すために「正しさ」を武器に
相手を「自分の思う理想」へ強引に追い込んでもそれはその場しのぎじゃないか?
こんな時こそこの本をよく読んだ方がいい!
その飲み会の目的は何か?
私が飲み会にいく時は個人的に
- 親睦を深める
- 楽しい時間を過ごす
- 美味しく酒を飲む
こんな目的を持っている。
要は自分にないアイディアや発想や思考に触れる楽しみと
コミュニケーション能力アップと距離感の調整と
美味しく酒を飲んで楽しい時間を過ごせたら、その時間は有意義なのだ。
まずはおのおのが自分の目的達成のために
一番いい行動を自分で考えて取ればいいと思う。
これが、会社や仕事関係だったり
目的もった集団や組織の場合の飲み会なら
「飲み会の目的」をしっかり共有できてると円滑だ。
- チームワーク、組織力の強化
- 酒の席を利用してのアクティブな意見交換
- 普段の労をねぎらう
などなど。
目的がわかれば個人個人自分にあった動きができるし
ほとんどの目的に対して
「サラダのとりわけ」は問題ではないのではなかろうか?
みんながそれぞれ自由に動くことで
自然と能力を把握し適材適所や連携に活かせるのでは?
ぶっちゃけ、その会の長みたいな立場の人なら
禁止するよりも率先して「自らサラダを取り分ける」方が
「〇〇がやるべき」的押し付け感なくなると思う。
「サラダを取り分け」は下級の任務か?おもてなしの気遣いか?
「サラダを取り分ける人」の認識は自由でいいんじゃないか?
サラダを取り分けてくれた行為に対して
受け手が素直に「ありがとう」と言えたらそれでいいじゃない。
そもそも「サラダを取り分ける人」の本心なんてその人にしかわからない、
- いやいややっているのか?
- 女だから私がやらなきゃなのか?
- 飲み会がスムーズにいくための気遣いなのか?
- 自分のペースで仕切りたい鍋奉行的な人なのか?
- おもてなしの心からなのか?
- 気が利く人と思われたいからなのか?
どんな理由であれ
人の行動というのは「本人の最終決定により行われている」ので
いろいろ本人が考慮した結果「サラダを取り分けよう」と決めたのだ。
やらないという決断も誰かに頼むという決断もできるけど
それよりも「私がやる」方がその人にとってはより良い決断だったのだ。
だったら、あとは相手の本音をごちゃごちゃ深読みするよりも
「サラダを取り分けてくれた」事実に
ただただ感謝で応えればいいじゃないか。
願わくは飲み会は楽しく有意義であってほしい
男性と女性の権利と自由の問題や
根強い男尊女卑意識の社会の問題
といろいろあるが、飲み会はよき交流の場であってほしい。
男性と女性は特性が全然違うので
お互いが尊敬しあって認め合って
協力できたら、ものすごいチーム力や創造につながると思う。
「サラダのとりわけ」にピリついている場合ではない。
そんなんでピリつくなら仕切り上手がどんどん「お願い」の形で
飲み会をしきっていくといいよね。
交流のきっかけに「〇〇さん、サラダ取り分けお願いします」と声をかけてから
「ありがとう」と受け取って、みんなにその人の紹介兼ねて話題をふってもいいし。
声をかけあうきっかけと思えばいいよね。
ピリつく飲み会より「人を動かす」を読んだ方がいい
禁止事項や緊張感漂うピリつく飲み会に参加するくらいなら
みんな各自「人を動かす」を読んだ方がいい。
飲み会でもなんでも
その時間そこで過ごすことで得られるものは大事。
飲み会にあつまった人みんながね。
せめて「楽しい時間」にしたいよね。
権利とか自由って主張し合うよりも
まずは認め合う方が早い。
敵じゃなく、味方を増やす方が人生得だぜ。
酒飲み独女のつぶやきでした。
「ありがとう」はちゃんと言おうぜ!
言われると嬉しいもん。