「何だって!?」と思うことが…示されていた。
古代日本の叡智に近づき・得るためにひっそり色々と活動中の私です。
身体のカムアマ構造と真の力の覚醒の鍵を探って「合気道の祖・植芝盛平」氏が説く世界を覗きこでおります。
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では、「合気の技の発生=自他を越えての一体化(むすび)により生み出される」という世界を更に覗いていきましょう~
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自らが天之御中主となり、すべてが一体化した境地に到達するとどうなるのか?
自他を越えて相手と一体化している時、何が起きるのか?
盛平氏はこう語っているのです。
『相手が打って来れば打とう、という自分の想いで自分自身を打ってしまい傷つけてしまうのです』
(‘Д‘)えっ!? 自分=相手の状態で在るが故に結果的に相手への攻撃は自分への攻撃になってしまうっていうのか。
この部分についての解説
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これは相手の「想い」を物実(ものざね)として自ず(おのず)から技が生ずることを述べたものに他ならない。
とあるのです(?-?)
「人の想い」も「物実」になるっていってませんか??
「誓約」のシーンで、神が身に着けていた物からその子神が生成されるという印象が強く「物実(ものざね)=生成の種としての物・物体・実体」と思い込んでしまっていましたが…どうやらこういうことらしい。
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「物実」=物(現象・顕在・形)となる実(種・核)であり、それは「在るモノ」ならば「(人の)想い」も含まれるということか!
そういえば…「誓約」ってスサノオの真意(本意)を占うための神卜だったもんなぁ。
私の想いが私の肉体に宿っているように、私の身に着けている物や愛用品にも「私の想いがウツされている」のかもしれませんな。
とうことは「物実」って見えない真意が宿った物(在る物)をさしているのか!?
どうやら相手と内側で「むすび」がなされることによって、個々を成す「形(姿)」が変容していくようです。(そういうことだったのか~)
なんか見えてきたかも☆