自分の中の「まっ白空間」を手に入れるために修行中のBBA私です。
武士道からはじまり現在は「禅」の世界を覗きながら精神修行に励んでいます。
ありのままに真実だけを見るために「自我・エゴ」から離れる段階に
自我(エゴ)とは
真っ白な「人生」というキャンバスに
私の信念や観念や思いなどで描かれた絵のようなもの。
「私が見ている世界」であり「私が私と思っているもの」
それをまた白地のキャンバスに戻す作業が
どうやら自我(エゴ)から離れ真我になるための
「私の解体作業」なんですって。
理屈で理解できないと先に進めない私の「禅」の参考書
でも私の場合、まっ白になりたいわけではなく
いつでも真っ白に戻る精神を手に入れたいだけ。
イメージで言うと「タカラのせんせい」みたいに。
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色々と描きまくっても
サーっとなでれば「白地」に戻るキャンバスが理想なの。
という話を踏まえて
自我エゴから離れて真我を見る修行に参りましょう。
自分が長年かけて築いてきた自我(エゴ)
人は誰もが根底に「自分は特別な存在である」という思いを持っている。
「特別な存在」とは「only oneな存在」という意味でね。
だから人は生きている間に
他者と自分を分ける「自我・エゴ」を
どんどん積み上げ強化してくのだという。
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他者と自分を分けるものであり、
他者から見た「私」なのだ。
そして私が「私」と思っているのも自我・エゴなのです。
私がこれまでの人生でずっと積み上げ続けてきた
- 観念
- 信念
- 思い
- 感じてきたこと
- 教育(真実だと教えられてきたこと)
これらが私を構成するものであり「私」と思っていたもの。
でも、本当の私(まっ白な私)は
自我の要塞(城壁)そのものではなく
積み上げている作業者が私なのです。
特別な存在、オンリー・ワンであるために
他者と自分を分けるためにせっせと築いてきた自我から離れ
真我に気が付くと気が来たようです。
積み上げてきた自我(エゴ)の解体作業
積み上げてきた作業を逆にするだけ
1つ1つ解体していき
観念や信念や感情から解放された
「センターポジション 0(ゼロ)」の自分を手に入れる。
今までの自我を捨てるのではなく
「私」を自我から解放して自由にする感じ。
私が「私」と思っていたもや
私が見てきた「世界」というものが
私の持つ「観念」だったと見つめ直す作業ですな。
自我ってどうせまたオートで積み上げちゃうし
積み上がっていちゃうモノだとBBAは思っているんですよ。
だからこそ、いつでもその積み上げた自我から
するっと抜け外側から眺める自分を手に入れたいのよ。
他者との比較「勝か負けか」それが自我の栄養分
自我・エゴを強大化してしまうものとは?
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自分の思い込み以外にも
「他者の存在」があります。
他者との比較
- 勝ちか、負けか
- どっちが優れているか
- 何を持っているか
こういった他者との比較(競争・上下意識)が
エゴの養分となり、どんどん肥大化させていくんですって!
φ(..)メモメモ
でも、憧れや目指すべき人が見えていないと
どこに進んでいくか迷子になっちゃうので
ここは意識のバランスとることが必要ですな。
俗世間を雑念いっぱい抱えて生きるBBAの修行は続く
映画もまたBBAにとって貴重な教えを与えてくれるのです。
映画観よっと。
では、また~☆