わかりやすく時計の絵を書き足しましたが
実際には「過去と未来」という幻想と捉えた方がわかりやすいです。
武士道から更に精神修行をすすめまして、
今は「禅」の世界を覗きこんでいるBBA私です。
SNSなどである界隈の方々で特によく見かける
「私たちは今にしか生きていない」系の発言
まー何となく「確かに、そうだよなぁ」と私もうなずいておりました。
今を現在点としたら、振り返れば「過去」が見えて
先を見れば「未来」が見えるような感覚ありますもんね。
しかし!
今回、私が西洋思想側から禅の世界を覗くために読んでいるこちらの本に
面白いことが書いてあったのです。
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その部分を読んで
私は「そういうことか!」と、どえらく納得できたのです。
では、今を生きるためにもエゴが見せる罠を見ていきましょう。
自我(エゴ)は「対象」を必要とする
まずは「自我・エガ」の性質を抑えておこう。
対象があるが故に認識する<私>が存在している
それは自我(エゴ)だ
“それ”は在るより
自我(エゴ)とは、
“他者と自分を分けるもの”だから
その通りですよね。
「対象に対する己の反応」を通して「私ってこういう人」と認識できる。
逆にいうと「対象がないと認識できない私」ともいえる。
何か対象があって、それに対する自分の意見や感情が
どんどん観念や信念となって積み重なって
<私>と思う自我(エゴ)がどんどん巨大に強固になっていく。
φ(..)メモメモ…確かに
でも、ここまではBBAも把握しておりましたぞ。
BBAが「はっ」としたのは、この先の話。
自我(エゴ)は時間という幻想を必要とする
BBA私が「!!!」と思ったのは、こちらです。
自我(エゴ)が生きるためには
時間という幻想が必要なのだ
“それ”は在るより
BBA的な「そういうことか!」はこんな感じ
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世界中の人が「時間」を共有していて
歴史を語り、未来を語るもんだからBBAもうっかりしておりました。
今日や今ってのは、どっちかというと無意識にこなしちゃってて
実は「意識の大半」を過去や未来に向けすぎているのかも!?
過去の後悔や反省、栄光や想い出、ニュース
未来への期待や希望、将来への不安や夢、ニュースで知る未来予測
などの方が「今」「今日」を最大活用するよりも意識向いちゃうよね。
特に今が辛かったり、不満があるほど
過去にこうしていれば…とか
未来に希望を見つけようと必死になったりしちゃうよ、私。
そんな私の状況も「それは在る」の仙人は
解説してくれている…私のこと見えてるんか!?
「今ここ」は時間の中にあるのではない
では「今を生きる」にはどうすりゃいいのか?
仙人は私にこう教えてくれた。
思考とは、過去の知識の寄せ集めでしかない。
過去と未来について考えることはできるが
それは過去の知識が私に見せる「影」だというのだ。
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思考とは過去の知識と体験の塊であって
私はその塊を粘土のように色々とこねくり回して
形を変えてみたり、希望の形を作ったりしているだけのこと
らしい…(そうかも!?)
⇓
思考により「私が見ることができる未来」とは
実際は『過去の体験の異なったバリエーションにすぎない』
それ以外にはないという。
未来って「過去」にしかないってこと!?
まーいいや、じゃあ未来は超暇な時にでも想像して楽しむものとしよう。
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あれ??
でも、そう考えると「今」が以前よりもはっきり見えてきたかも。
更に重要な教えはこちら
<今ここ>とは時間の中にあるのではない
<今ここ>の中に時間と空間の幻想があるのである
<今ここ>とは、つまり未知なのだ
未知の領域なのだ
“それ”は在るより
ああああああ!!!
私が「未来」と思っていた「可能性ある希望」ってのが
まさに<今ここ>のことだったじゃないか。
<今ここ>が人生で最重要ポイントであることが
やっと実感できたBBA私なのです。
「今ここ」を生きるためのコツ
以前紹介しました「思考する自分を見る<私>」を持つことらしい。
自分がこれまでに築いてきた
観念や信念や思いや感情を積み重ねた自我の中で
「今何を思考しているのか」見守り続けることが大事。
今に最善をつくせるように
自分を改造中のBBAです。
今を最高に生きるって難しい
難易度高いけど
そうなってやるぜ~
私を縛る時間を逆に縛ってやる!
やっつけてやるくらいの気でいる私です。
いや、もっと仲良くなるべきか??
なんにしても「付き合い方」って難しいぜ
では、また~☆