プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【BBAの精神修行】感覚に落ちた「すべてはひとつ」「相手もまた私」「他人は自分の鏡」の意味

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そういうことか!と、寝起きに不思議な感覚で急に悟ることが増えたBBA私です。

頭で理解したことを睡眠中(夢の中?)で

感覚的な理解に落し込む方法がわかってきた気がする。

 

 

ある日、寝ている最中にいろいろな映像観ながら

「そういうことか!」と理解できたことがある。

 

このブログでも書いてきた、私の精神修行の参考書

禅の世界を西洋思想側から覗くこちらの本

 

“それ”は在る

“それ”は在る

 

 

この本に書かれていることが

「そういうことか!!!」と急に感覚的理解に落ちたのだ。

 

「すべてはひとつ」で私と他を分けるモノは本来何もない。

私の自我・エゴがひっしに自分と他を隔てる境界線をつくっているだけ。

相手もまた私であり、他人は自分を見る鏡。

私が見ている世界は全て、私の信念・観念・思い・認識が見せる幻想世界。

 

ってっことを頑張って頭で理解していたものが

ドカン!と落雷にあったように腑に落ちた。

 

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私が私と思っているモノは

そもそも私の信念・観念・思想・認識・得た情報でできている。

 

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私が「私以外」と向き合う時

私はその人を認識する為に

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結局は「もともと自分の中にある情報」を

組み合わせてアレンジしているだけなのだ…

 

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私がこうして目の前の人を認識するとき

それは「私の内にある情報のアレンジ」であり

それはどこまでも「私」なのだ。

 

もっと言えば「過去の自分のアレンジ」に近い。

この図の場合

私が「彼」と認識した像は「私の別バージョン」なのだ。

 

その意味では

どんな人とも共通する部分があるってことだよね。

 

最近、こういった感じの

本で読んだ知識が感覚にドンと落ちてくることが増えた。

たぶん狙いは違うんだけど「瞑想」の効果なのかも?

 

世界はもの凄く広くて、ものすごく狭いのかも。

すべては私の外側に広がっているようで

実は内側の世界なのかも。

 

境界線もベクトルも位置を示す点も実は無いのかもね。

 

では、また~☆

 

 

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