どんどん難解になっていく…般若心経の解読22番目
はじめにここを読んだ時「えっ!?」って思いました。
そして首を90度超えて180度くらい傾げた…
BBAの精神修行の流れは「武士道」からはじまり、
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禅の世界に入り
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角度は違うがいってることは「空」
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現在、般若心経の解読中
武士道の後に「四諦八正道」の考えに触れているのです、私。
だから、今回の解読は困難でした。
無苦集滅道を分解
「無・苦集滅道」⇒苦集滅道は無い
って書いてあります。
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◆苦・集・滅・道とは?
次に1字づつその意味をみていきましょう。
- 苦 (生・老・病・死の苦しみ)
- 集 (苦をつくり出す心の迷いの集積)
- 滅 (苦集を取り去った悟りの境地)
- 道 (悟りの境地=涅槃に達する為の修行)
そうなのです、四諦八正道のこと言ってるんです!!
無・四諦八正道だと!?
そんなん根底から覆す気かっ
苦集滅道⇒四諦八正道
では、苦集滅道を四諦八正道をさしているとして
四諦八正道をおさらいしておきましょう。
◆苦集滅道から四諦へ
◎苦諦
迷いが苦しみを生み、人生は苦であるという真理
苦は人間の生存自信が持つ必然性
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人間苦=四苦八苦
四苦(生・老・病・死への苦)
+愛別離苦(愛するモノと離れる苦)
+怨憎会苦(憎むモノと出会う苦)
+求不得苦(求めても得られない苦)
辛い…これが人間が生きていくうえでは必然的についてくるってのかぁ
でも確かに、納得もできるんだよね(--;)
◎集諦
人間の欲望が尽きないことが苦を生み出している、
苦を招集させているのは煩悩であるという真理。
人間が持つ煩悩の中でも苦を生む根本は渇愛だという。
苦の構造は十二因縁でも語られている。
◎滅諦
苦を生み出す欲望が無くなり、
苦滅の状態こそが理想の状態であるという真理
苦集を取り去った悟りの境地
◎道諦
苦滅の状態に達するための修行の道
⇒八正道により涅槃に至るという真理
(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)
私はこの四諦八正道の考えが好き。
どう生きるべきか、しっかり教えてくれているから。
煩悩が湧いてくる以上、この考えを持っておいた方が生き方に迷いが少なくなる。
無苦集滅道=無・四諦八正道!?
さて、ここで難しい問題です。
無・苦集滅道とは
「四諦八正道も無い」という意味なのでしょうか?
これは、”自分のいる段階による”のだと
私は理解しました。
自分の感覚的・認識的な理解を越えて
この世の真実を見ることができれば
そこに「苦」は無く、故に苦集滅道も無いってことでしょう。
だってこの世界の真実の姿は「空」なんですもの(‘v‘)
ただ、現実的に自分の外側(外界)と
関わりながら刺激を受けながら物質世界を生きていくには
まず「四諦八正道」の考えを心に持っていた方が生きやすいです。
あなたが必要とするなら四諦八正道はある、
あなたがそこから離れもっと高い視点で広い視野で
世界の真実を見るなら、そもそも苦は無く四諦八正道も不要ってことでしょ。
でも四諦八正道で目指すのところって
結局は無集滅道だから…同じこといってるんだよね。
私が欲望や煩悩や自分の感情に
囚われたりしなければ、
そもそも苦は無いってことだもんね。
無いと有るは突き詰めていくと
同じ「空」になるんだよ(^^;)ややこしい。