「大義」に生きるといったほうがイメージがしやすいかも。
西洋の個人主義とは全く違う思想が「忠義」にはあるようだ。
忠義とはただ上に従うことではないのです。
拝金主義に覆われていく社会
- 金と権力が力
- 勝ち負けの格付け社会
- 弱肉強食
- グレーな手段でも勝てば官軍
- 大声で主張した者勝ち
- 嘘と詭弁が溢れる社会
- イライラ社会
- 日本人同士攻撃し合う社会
こんな流れの中ですっかり私も流されかけておりました。
世の中、金だ!力だ!影響力だ~!
って流れに流されるところだった
私の中の半分の悪な部分が
真っ黒に増殖し白い部分が無になるところだった
のですが、やっぱりそんな自分にも世の中にも違和感が
ただただなんだか気持ち悪いのだ。
そこで心理学や脳科学、哲学をまわって
ポジティブ・バカ(いい人・感謝・引き寄せ精神世界の人)になりかけた私も
やっと自分で違和感なく「そうだよね」と思えるものを見つけた。
それがブッタが説く「四諦八正道」と「武士道」なのです。
四諦八正道で「世の中ってこういうもんだよね」と納得し
今は正道を生きるために「武士道」で
柔らかく折れない心を学び、日本の精神再構築中。
今日は「忠義」について学んでいきます。
忠義とは大義に生きること
武士道は個人よりも公を重んじる
個人が先にあるのではなく、
自分が属する組織全体が自分個人を紐づいており
「家族や所属する組織や国の一員の自分」を持って
大義を全うする生き方をすることを重んじるって意味のようです。
自分≠個人
自分=個(家族・社会・国の一員としての私)
というかなり高い視点で自分を見ている。
◆西洋の個人主義
親子、夫婦でも個人+個人であり
別々の利害を認めている
◆武士道の場合~利害は一体不可分
武士道の場合は
本能的な愛情の絆で結びついた関係を
含めてその利害は自分の利害と一体となる。
家族への愛の絆から利害や幸福の一体感は想像しやすいと思います。
組織や国などへの絆は「愛着」という言葉を使ったほうがイメージしやすい。
住む土地を愛することの「愛着」が
国や自分が所属する組織にも自然と湧くというわけ。
これが本能からの愛情=絆です。
だから無理に愛情を持てということではありません。
今は拝金主義に洗脳されて
「自分さえ得をすれば」って人も増えましたが
本来、日本人は家族や国の利益と自分の利益を
切り離して考えたりはしていなかったんだよ。
日本が褒められると、なんだか自分のことのように嬉しい。
こんな感覚が大事なんじゃないかと。
もちろん悪い部分に関しても自分事として
「なんとかしないと」って考える。
忠義・忠誠は盲目的な服従ではない
新渡戸稲造氏の「武士道」にはこう書かれている
己の良心を君主の気まぐれや酔狂、
あるいは道楽の犠牲にする者には
武士道は極めて低い評価しか与えなかった
私の武士道の教科書
忠義とは主君ではなく「義」に忠実であること。
忠誠とは主君にではなく「誠」に忠実な生き方をすること。
義と誠はどこにあるかと言えば
自分の中にある「良心」なのです。
◆己の良心を犠牲にして主君に従う者への低評価
【佞臣】
無節操なごますりで主の機嫌をとる者
【寵臣】
奴隷のような卑屈な服従で主に気に入られる者
どちらも軽蔑の意を含んで使われた言葉です。
こうして見ていくと
時代劇でしか知らなかった表面的な武士の世界が
また違う深い世界として見えてきました。
「自分さえよければ」という我利我利亡者にならぬ
大事なことを学べました。
縁と絆を含めたすべてが私ごとだったのかぁ。
そして、もともと仁義なき人は
社会的立場が上だとしても従う必要はないのだ。
受け流す、ひらりとかわす、絆を結ばないのさ。
では、また~☆