私の中で、ここ数年で一番の「衝撃」だったかもしれない。
この話は「2024年2月29日」の朝の情報バラエティ番組「ラヴィット」のことっす。
その日は「決していじってはいけない”例のあの人”が登場」と番組欄でも煽りがみられ、「誰が登場するんや!」という好奇心を刺激された私は素直にラヴィットを覗き見たのでございます。。。
そしたら、なんと!
あの「キンコン 西野」さんが登場したではありませんか?
御存じない方の為に、この人やで~
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私は西野さんが「はねとび」で耀き、第二のナイナイになるんじゃね~かって思ってたテレビ世代故に、その後の西野さんの動きをなんとなく注目し驚かされておりました。
ひな壇嫌い発言やクラファンで話題となり、活動の場をアートやネットに移し その後は私のイメージ(認識)では「ファンを集めた信者ビジネス」っぽい雰囲気の闇に堕ちていったように見えておりました。
千鳥の大悟氏が、西野さんと共演時に「まだ捕まっていない詐欺師だともうとる」といった場面も私はテレビで拝見しており、「言ったよ、大悟が核心突いちゃったよ!」なんて思ってドキドキしながら見守っておりました。
其の頃から私の中での勝手な西野さんの解釈として
- 恵まれた容姿のために学生時代 常に一軍にいた人
- 人を笑わしたいのであって、人に笑われたくはない
的な学生時代のヒエラルキー上位のまま「上から下を見る」姿勢のまま大人になって、芸人社会になじめないひとなのかな?と思うておりました。
でも、なんか、なんか、今朝のラヴィットで西野さん登場時の周囲のいじりと西野さんの返し(抵抗)を見ていて、「あっ、この人…マジで純粋な少年時代のまま今も生きているだけかも」と思えてきたのです。
ラヴィット出演の条件が「俺を一切いじらないこと」だったようで、番組ではテロップを出してまで注意喚起しておりました。そんな中でもラヴィット軍団に「例のあの人」の如く「特別な人」あつかいでいじられる西野氏が「どうしていじられたくないのか?」という問いに、こう答えたのです。
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「俺はカリスマになりたいんだよ!(カリスマはいじられねーだろ)」
(西野亮廣 43歳)
この言葉を40代にして大声でテレビの生放送で発信できるだなんて!!
彼は、もしかして「本気で言ってるのか?」それとも「芸能界の一流には成れなかった40代の芸人として開き直ってギャグに召喚したのか?」と私の心が一気にざわつき始めたのでございます。
どっちにしても、「カリスマになりたいんだよ」って言った時点で「カリスマになれなかった自分・なれない自分」を認めていると思うんですよ。
それに「カリスマ」って言葉は私のようなBBA世代がその昔にテレビや雑誌でやたら見聞きした言葉で、
- カリスマ店員とか
- カリスマ美容師とか
- カリスマホストとか
- カリスマギャルとか
雨後の竹の子のように ぼんぼんメディアが取り上げもてはやし、有吉さん曰く「安っぽいカリスマが量産された」時代なんす。
故に「カリスマ」=なんとなく凄いけど実体なき凄さ(雰囲気もの)
という認識もその時代後期に広まっていったのですが…西野さんはまだ「カリスマ」ってことばを「いい意味で」使っているようなのです。
クラスの人気者⇒芸能界の人気者⇒日本の人気者⇒世界の人気者
として歩んでゆきたいという純粋な気持ちを持ち活動し続けている40代となった心は少年のままだとすると…結構 凄いな、と。
生き方が文学じゃねーか!
よくわからんのですが、ちょっと羨ましいなと思ったのです。
少年のび太のような純粋な心と、ドストフスキー作品の青年のような「自分を認めない社会・世間」に苛立つ青年のハイブリット亜種が「カリスマ西野の生き様」という文学なのかもしれない。。。