第76首のむすびの一節や~
◆カタカムナ第76首を詠む
※声に出して音を響かせイメージしましょう
カムナガラ アマ ワレマ アメノ クソムス
オキ ヤホマ カムウツシ スベカエシ フナ コロシ
カムナガラ ア ナ アマ ハユ ユツ コナ カムミマリ
アメノ コト ミチ ヨミ カム アマ
◆一音一音の示し
「ヨミ・カム・アマ」
- ヨ(新しい、陽、四相性、※時間と空間の発生)
- ミ(身、実、実体、光、生命力の実質)
- カ(根源の力、力)
- ム(無・無限の、広がり、六方環境から蒸す=立体化)
- ア(感じる、生命、現象化)
- マ(間、真、現象界の間、受容)
ここから音を纏めて「ことば」にして解読を
◆ヨミ・カム・アマ とは
アメノコトミチ(事なす御雷=神霊力の光)とは
↓
- ヨミ=四相性を持つ新しい陽の「ミ粒子(実・光)」
- カム=潜象の力(潜象界の力・働き)
- アマ=現象の力(現象界の力・働き)
つまり「ヨミ」の「カム×アマの重合のミ」=カムアマのフトマニ・フトマリから発生している、ということか。
ここは前の部分に新しい解釈を加えて~
↓
◆天の琴の道⇒黄泉・カム・アマ
アメノ「コトミチ=事・言・琴の道」は
- ①黄泉界(域)
- ②カム界
- ③アマ(大アマ~小アマ)
に通じている「道」だよ~ってことじゃないか、と思った。
「事・事・琴の道」とは、つまり「天のヒビキの道」です。
その道が通じる上記三界を言い直すならば
そんで、実はアマ界にも3層あって
↓
私たちが居るってか「在る間(存在の間)」というのは
正確には「天でも地でもない」”中津国」なわけです。
私はずーっとこのことが引っかかっておりまして…最近、ここの疑問が解けました。
かなり「ショックな内容」だったのですが、妙に納得のいくものでした。
ざっくり云うと
天地は造化のヒビキがうまく循環して「呼応」しており
カムの造化がうまく行なわれているのですが、
人間界つーか「天地の中津国」だけは カタカムナが説いている造化の働き(潜象の意⇒アマで顕現化)が未だ実現(うまく機能)できていないそうです(;;)
つまり、我々は「天と地のヒビキの呼応の”おこぼれ”」により生かされているだけ。
これは「今のところ」であり、我々は中津国の造化の循環の完全化に向け存在しているんだそうです、本来は。
詳しくは、こちらを一度じっくり読んでみてください。
古事記やカタカムナが示す世界の見え方がわかる、凄い1冊です。
(つづく)