そういえば…なんで「大綿津見神」以降、「〇の神」とわざわざ何の神か表されているんだろう⁇
日本語のヒビキの神秘構造に触れ、カタカムナで古代文字や歌文化に興味を持ち、ついに「古事記」の解読に乗り出した私です。
では、神生み篇の続きへ
次に風木津別之忍男神を生みたまひ、次に海の神、名は大綿津見神を生みたまひ、
(「古事記」より)
ここで非常に気になるのは、わざわざ「海の神、名は大綿津見神」と記されているところです。はっきりと「海の神」と示されている、何故急に⁇
日本語は先に「音」があり、漢字は当て字なので「ワタ=海」を示しているのですが、ここに「綿」の漢字を当てた意図があるはずだと思うのです。
綿という漢字の成り立ちが非常に興味深いのです。
「白い頭蓋+白い布を纏う」+「その白糸を紡ぐ手」から出来た字なのだそうです。
「海」というのがカムの「一」からアマへの分霊を司っており、アマ界での「御霊(みたま)」を形成する「生命・現象の核=霊(ヒ・直霊)」に絡みつく「ミ(膜ミ・絡ミ)」のエネルギーだという示しではないでしょうか。
最近、ふと脳裏に「流体力学」の文字が浮かびまして
たぶん今私が気になっていること(古事記の解読とは別方面)の答えがそこにあるからだと思いますが「流体の粘度」がどうやら鍵らしいんですよね。
んで今「川面凡児」さんに関する本を読んでいるのですが
日本に出現した「神人(本物)」の彼が「御霊」は潜象のものではなくアマ界に存在する実体だ(物質化して存在している)というんすよね。
※詳しくはまたの機会に
もしかして、古代日本人とか神人には海は「綿状のエネルギー場の大海」に見えてたのかなぁ。
(つづく)