必死に「ヨモツシコメ」から逃げているところに…更に黄泉の大軍が加わって。。
古代日本の智を追って、今は「古事記」の解読に入っております。
日本人なら「古事記」の世界を紐解くべし、ですよ~。
では、続きへ
また後には其の八の雷神に、千五百の黄泉軍を副へ追はしむ。
しかして御佩せる十拳の剱を抜きて、後手にふきつつ逃げ来。
(「古事記」より)
山ブドウに筍を錬成し、「よもつしこめ」を蒔いたかと思ったのも束の間!
”イザナギ命の後ろには「八の雷神(やくさのいかづちのかみ)」が千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)勢を引き連れ追ってきていた。
そうしてイザナギの命は身に携えた十拳の剱を抜き、後手(しりへで)に振りながら逃げて来られた。”
ってことが書かれております~
八雷神が率いてきた「よもついくさ」の軍勢がどのような者たちだったのか気になりますが、黄泉の国の神々というよりは「魔物(邪鬼)」に近いのかな?なんてイメージしております。
ここで非常に気になる箇所が1つあります。
イザナギ命が火神をも斬り殺した神剣を抜き「後ろ手にふきつつ逃げた」という所。
まー逃げている状況の中で「剣を後ろ手に振りながら逃げる」ってのは想像しやすいんです、でも「神剣を後ろ手にふきつつ」に何か意図した作用を起こす力が込められているんじゃないか、と。
「振りつつ」でもなく「ふきつつ」という音ですし、
何よりも「ふきつつ」の音に当てられた字が気になるのです。
↓
『布伎都々(ふきつつ)』
神剣「布都御魂」が示す「布都」の力と、「布留の言」の力と何か関係があるんではないか、と思えてならないのです。
「布都御魂」は神剣の「二つに断ち斬る=斬り別ける力」を示すだけではなく、実は「回復力」も持ってるのです!
だから、「後ろ手に神剣を振る動作を繰り返す」ことで「回復力の逆の力」を持つ「神気」を発生させることができたんじゃないか、と思うのです。
ちなみに「布留の言」は言葉に言霊を与える力があるそうで、「振る=振動させること」というのは「ヒビキ」を生み、そこには神霊力が宿るようです。
「布都」「布伎都」「布留」の「布・ふ」音はもしかしたら、
エネルギーを繊維状にまとめ、更に布の状態まで織り上げるってことを瞬時に成す「マトマリ・カタマリ」の神霊力・作用のことを示しているのかも。。。そんな気がしてきた。
(つづく)