ここで「伊耶那美命」から「命(みこと)」がとれて、「大神」になった!
しかも「号けて(なづけて)」となっている!!
ということで 古代日本の智の探求にはまり「古事記の解読」中な私です。
日本語の一音一音が特別なヒビキで出来ており、天の理を紐解くものであり、天地に作用するヒビキの力を有している、、、と知ってから「古事記」を読むとめっちゃ面白いですよ~
では、続きへ
故其の伊耶那美命を号けて 黄泉津大神と謂ふ。また云はく、其の追ひしきしを以ち、道敷大神と号く。
(「古事記」より)
「伊耶那美命」という神・命名から⇒①黄泉津大神+②道敷大神の2つの大神へ変わられた!! 別天からの天命が解かれ(除名?)され 新たなる存在となったってことでOK??
「命」が外されたのです(;;)
つまり、もう旧・イザナミ神には「イザナギ命の妻としての生成祖神(御祖神)の力」がないわけです。そうして新たな神名が与えられた。
「号く(なづく)」とあるので、神の言霊が発せられ『新たな神名』が与えられたものだと思われます。しかも2つも、大神名を。。。
今回は「黄泉津大神」の神名の方の解読へ
「津(つ)」は古語で「~の」の意になるので「黄泉の大神」
「大神・おほかみ」=その間(空間・環境場)つまり「その界」の主
となるので、いつの間にか「黄泉界の主」となってしまわれたのです。
でも「死=新たな生のはじまり」だと考えると
界はちがえど 生成の源に坐す神であることにはかわりないらしい。
どっちにしてもなんだかんだで地上と地中でイザナギ・イザナミは呼応しあっているんじゃなかろうか?
なんとなく、ですがアメンティーのホールに坐す「あの主」と黄泉津大神が重なって見えてきませんか?
(つづく)