「合気道」は戦闘武術ではなく、やはり「道」なのです。
茶道も剣道も柔道も古神道も皆、魂の道や真理の道に通じているのですなぁ。
古代の智~古代日本の智の探求にはまりまして~
すべては潜象の力と現象の力の関わりから生成化育されているならば、
身体もまたカムアマ構造でありカム×アマの関わり合いで出来ているわけですから~
カムの力を発揮するスイッチ(や仕組み)が在るはず!
ということで 合気道の祖・植芝盛平氏が説く世界を覗きこんでいる私です。
では、先へ
合気の動きを「神楽舞」を通して弟子たちに見せていたという盛平氏
彼が舞う「神楽舞」が先天の声(日本語の75音のヒビキ)との心身の共鳴から自動発生的に生じる「動き」だということがわかってきました。
故に彼は弟子たちに「神楽舞」を伝授することなくこの世を去ってしまったそうです。
というか、彼が舞う神楽舞は「神がかり」とか「神降ろし」に近いものがあるようなので 到底「言葉で表現」できないし、動きをマニュアル化できないから「伝授できなかった」ってのが正しい表現じゃないか、と。
たぶん、二度と同じ舞いはできない「今・今の天との共鳴」だったんじゃないかな?
だからその時、その時で「神楽舞」として自身の動きを見せていたんでしょう。
合気の技は「魂のひれぶり」から自然と生まれる、といいます。
「魂のひれぶり」と「神楽舞」について
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「魂のひれぶり」としての合気道を行うには、こうした神楽舞のような霊的な部分を大きく補充するものが必要である、と盛平はかんがえたのだろう。
と書かれており、弟子たちにも師の心は通じていたようです。
んで、ここで「魂のひれぶり」が気になるわけです。
「魂の振動」のように受け止めておりましたが、もっと深い意味があるような。。
どうやら「魂(こん)の比礼振り」という意味だそうで、「ひれ」は「十種の神宝」から来ております。色々に邪や害を祓う力のあるのが各々の「ヒレ」であり、神事などで使われる装具の「細長い布」のことを指したりもします。
神事の舞に際し、身体や神具(矛先)などにつけられた「ヒレ(布)」が動きの軌道おより大きく表現することから、「神霊力の拡大・増幅作用」があるんじゃないか、と私はにらんでおります。
面白い話を見つけまして~
盛平氏の言葉として”「魂のひれぶり」は「念彼観音力」と同じ”というような内容が語られているそうでして…ってことは⁉
「念彼観音力」が分かれば「魂のひれぶり」ももっとはっきり見えてくるよね。
どうやら「観音様の力を一身に念じること」らしく、そうすると観音力が発揮されるそうです。敵(害・邪)を砕き、身を守ってくれるってことらしいですが、「観音力」を更に詳しく調べてみると
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”「観音力」=自分の中に眠っている他人(他)との共振力”
とありました!
「観の音と共振する力」
「観の音=この世界・宇宙に鳴響く神意のヒビキ」
ってことじゃないかって思うんですよね~
合気の技は「カムナガラ」に生みだされるものなのかも。