号けられた第二の神名「黄泉戸大神」
古代日本の智、日本語のヒビキの神秘構造、古神道の世界、などへの興味が湧きまくっている私です。今は「古事記」に込められた真理に通じる「叡智」を探索中。
では、解読の続きへ
今回は2つ目の神名「黄泉戸大神(よみとおほかみ)」の方の解読です。
古事記にどう記されているかというと
また其の黄泉の坂に塞れる石は道反之大神と号け、また塞り坐す黄泉戸大神と謂ふ。
(「古事記」より)
私の勝手な考察ですが「境界を塞ぐ石(エネルギーの壁)」としての神名が「道反之大神」で、
第二の神名「黄泉戸大神」の方は「黄泉の国の閉ざされし門(戸)」としての意味が強調されたものかと。「大神」の名を2つ持つという異常さ!
イザナミ神の変遷と同じや、イザナミ命も「命名(みことな)」から2つの大神名に変わってしまった。
そもそも「塞れる石(さやれるいは)」という言葉に特別な意味が示されており、どうやら『邪鬼・邪・魔・禍をはねのける結界・壁・間区切』としての役目・働きをもって置かれる石のようです。
んで、こっちの意味合いが色濃くしめされているのが「黄泉戸大神」という大神名なのではないでしょうか。
「大神(おほかみ)」という神名はどうやら八百万の神々の中でも「偉大な神」とか「大きな神霊力を持つ神」を示しており、私の解読では「その界(空間場・環境場・領域)の主神」のことを指すものではないか、と。
ということはですよ!
この黄泉比良坂を塞ぐ石もまた「特別な界=空間場・領域」であるってことですよね。
界を別けているが、どちらの界にも属さない「特別な間」であり⇒「ヒ螺逆の点」であり、「道反し(雷返し)」の一点空間場ですからね。
「ゼロポイントフィールド」のウツシとかそこに通じる特別な間・界かのかも。
塞ぎ石の内界って。
(つづく)