ナウシカの世界に通じるモノを見た気がします…
滅びに向かって混乱していく人間とずっと冷静なロボット達の
コントラストにズーンとくるものがあります。
映画を見終えてから
主演がアントニオ・バンデラスで
博士がメラニー・グリフィスだと気がつきました…衝撃!
淡々と人間の未来を語るAI-ロボ
その予言は…
映画オートマタ~あらすじ
2030年代末、太陽のフレア光が増加し地球の砂漠化が加速
人口の99.7%を失った人類は
残された人類が安全に暮らせる都市網を再構築、
過酷な環境で人類の手助けを行う原始的なヒューマノイドロボ:
オートマタ(ピルグリム7000型)を開発した。
砂漠化の進行を止め、地球の緑地化の救世主と期待されていた
オートマタだが、その結果は「失敗」に終わる。
その後、オートマタは減少した人類に変わり
労働力として人間たちに仕え、
人間社会に無くてはならない存在になっていた。
オートマタには2つのプロトコルが設定されている。
- 生命体(生物)に危害を加えてはならない
- 自他のロボットの修理・改造を行ってはならない
これは人間たちが安全にオートマタを使うために必要な制御機能だった。
ところが、
自己修理しているオートマタが発見され
保険調査員のジャックは調査をはじめる。
ジャックが捜査を進めていくと…
オートマタの製造会社が秘密にしていた驚きの事実が!
第二プロトコルが外されたロボット達は
協力し合い「何か」をはじめようと動き出していた。
その「何か」を探るジャックにロボット達はAIが計算して導き出した
「人類の未来」を告げるのだった。
第二プロトコルが外されたオートマタと
秘密をしった者をすべて消そうとする人間たちと
静に人間を見つめながら未来に向けて進んでいくロボットたち。
人間とロボットに待ち受ける未来とは?
あくまで機械的なオートマタ
色々と未来の地球を描く映画の中では
AIロボが「まるで人間」といった外見になり
“人間とアンドロイドの境界線は?”
といった哲学的な問いに向かう傾向が強い。
ところがオートマタ(ピルグリム7000型)は
どこまでも機械的な見た目と存在なのだ。
人間も彼らのことを道具・機械・家電程度にしか思っていない。
オートマタは「作業ロボ」であり
AI頭脳と器用な手先の動きに反して
足は人間の機能の半分もない感じなのだ。
だから第二プロトコルが外された
自分の意思・計算で動くロボであっても
その存在は静かに人間を見つめる機械のロボットそのもの。
人間を攻撃して、支配してやろうといった動きはないのだ。
ただ、たんたんと滅び行く種族である人間たちを静かに見つめ
自分たちがこの先残るために改造を続けている。
人面型娼婦ロボットのクレオ
彼女は改造されたセクサロイドなのだけど…
その表情はいつも悲しげに見える不思議な存在。
彼女は他のオートマタと違い
ホントに女性的で母性に似た慈愛を見せる。
負傷したジャックを助け続けるのもクレオだ。
彼女が最後に人面の顔パーツを捨てる意味は大きい。
ラストシーンで彼女が人面部を捨てて、
彼女はじめロボット達がつくりあげた
すべてのプロトコルを排除した新種ロボと去っていくのは印象的。
AIが語る人類の未来
独自に進化をはじめたオートマタ達
その彼らのリーダー的存在のオートマタがジャックに語った
「人類のこれから」がAIが計算で導きだした答えゆえに重い。
状況から考えればAIじゃなくても計算できると思うけど…
感情がない分、無駄な幻想や希望が一切ないのでより残酷だ。
「人類はもうすぐ滅びる、種の交代時期なのだ」と。
人類に変わり、永久電池を備えた進化したロボたちが
この地球で生きていく種になるという。
人間は地球の環境に適応できず滅びるが
人間の作った機械・技術がロボたちに継承され
それは人間の種がロボに引き継がれたと同じことだという…(確かに)
ラストシーンにみた未来の青写真
自立・進化したロボット達がつくりあげた
新世代ロボは砂漠に生きる「ゴキブリ」を模したデザインになっていた。
ナウシカでも汚染された過酷な環境の地球を生きるのは蟲たちだったなぁ。
新世代ロボをつくった第二プロトコルが外されたロボたちは
人間たちに攻撃されても、反撃どころか防御もしない(;;)
たぶん、自分たちが人間によって破壊される最期も予測していたんだろう。
そこで彼らがつくりあげたのが
何の制御もない新世代ロボなのだ。
攻撃してくるモノは人間であっても攻撃する虫型のロボ。
動きも形状も無駄がない…
最後にクレオがこの自分たちがつくった虫型ロボと
人間が入ってこれない汚染された大地に向かい去っていくが
その時彼女が人面仮面を捨てたのは
「機械は人間を模することで進化できなかった」という意味かも。
「人間の形」なんて必要ないのだ。
機械は人間に憧れてないし、人間になりたくもない。
ただただ人間を静かに観察して
その愚かさを記録し続けているだけなのかも。
クレオと新世代ロボ、
ジャックと妻と生まれたばかりの赤ちゃん、
それぞれが今までいた都市ではなく
新天地に向かって進んでいく姿が印象的。
でも、そこでも
ロボたちは現実の人間が入ってこれない砂漠の奥地を目指すのに対し、
ジャック一家は彼の記憶の中の「海がある過去の地球」を夢みて追うのだ。
人間が生きているのは「幻想世界」なのかも。
でも、あの絶望的な世界でも
ジャック達夫婦は子供をつくり、産み育てる未来を選んでいる。
人間が未来に絶望していない証拠だ。
これが人間の強さかもしれない。
計算で見える絶望よりも、希望を描いて先に進んでいくのは
人間にしかできないことじゃない?
ロボットが機械的でロボットらしいからこそ
現実味を感じてしまうSF映画でした。
では、また~☆