これは過去の実話ではなく現在進行形で今も
闘い続けている元麻薬売人の白人牧師の姿である。
WWⅢを恐れるならば
今知っておくべきこと。
世界各地で内戦が起こっており
多くの子供達が戦地で明日をもしれない暮らしを強いられている。
この話は実際にスーダンで子供たちを救い、守るために
銃を手に命がけの闘いをしている白人牧師サムの姿を
映画化した作品ですが、ドキュメンタリーのように
目をそらしたくなるシーンも多いのですが
まずは「知る」ことから真剣に向き合ってみようと
最後まで見続けました。
エンドロールでは現地の本物の映像が流れます。
是非、多くの人に 最後のそのシーンまで
しっかり見て欲しいと思います。
◆視聴はこちら(Amazonプライムビデオです)
↓
- 今もスーダンで子供たちのために闘う白人牧師サムの実話
- アフリカ各地で内戦に巻き込まれ過酷な状況にある子供達
- 何度も襲われ、LRAから命を狙われるサム
- 常に資金難:米国富裕層に援助をお願いした結果・・・
- 凶暴化し荒れるサムの心を救ったスーダンの少年の言葉
- サムとスーダンの現在~エンドロールを見逃すな!
今もスーダンで子供たちのために闘う白人牧師サムの実話
まずはこの映画の説明を。
「銃を持った牧師」
「LRA(神の抵抗軍)を狩る白人牧師」
と呼ばれる元麻薬売人サム・チルダースの半生を描いた実話です。
銃を持って戦い続けています。
◆スーダンに教会と孤児院を建て子供を救う牧師
彼は私たちが「牧師」ときいて思い浮かべるイメージとかなり違います。
「神」を盲目的に信じているわけでもないし
神の教えをスーダンに広めゲリラやLRAを説得するわけでもないのです。
ただただ自分の信じた行動続けるだけ。
「内戦に巻き込まれ、酷い状況にいる子供たちを救いたい」
そのためなら手段を択ばない。
だから牧師でありながら
銃を持ち銃撃戦の最前に出て戦っています。
当然相手のLRA側の傭兵を殺す覚悟で撃っている。
◆牧師になる前のチンピラだった頃のサム
映画の最初の方で描かれている
牧師になる前のサムは、はっきりいって「クズ」です。
麻薬売人として捕まった刑務所から
出所してくるところから映画は始まります。
元ストリッパーの美人な奥さんと
可愛い娘が彼の帰宅を喜びます。
サムが獄中にいる間に
すっかり神の教えに目覚めた妻は夜の仕事をやめ
日中の仕事を頑張っている。
もちろん生活は楽ではありません。
サムは妻に「ストリッパーに戻って金を稼げ」と言うのです。
(@。@;))))
何だ、コイツ!? ホントに最悪な旦那だぜ(←私の心の声)
もちろん彼も出所してもチンピラのまま。
酒にドラッグに窃盗・・・・
そしてある夜、男ともみ合って殺してしまうのです。
男の死体を道路に投げおき
逃げるように帰宅し、罪悪感にさいなまれるサム。
(結果的に 男は救助され死んではいないと後に知る)
◆妻に連れて行かれた教会で心が動く
サムの様子を心配した妻に連れて行かれた
教会での牧師の説教にサムは心を動かされたのです。
熱心に教会に通い、建築の仕事に精を出し
生活も豊かになりはじめた頃に
彼は自分の過去の罪を償うかのように人々のために動き始めるのです。
自分のような過去に苦しむ人や
過去に苦しめられている人や
社会の弱き者のための教会と孤児院をつくったのです。
この地元での活動には妻と娘の賛成と協力が大きく貢献してくれています。
アフリカ各地で内戦に巻き込まれ過酷な状況にある子供達
建築業に、教会の仕事と忙しく過ごす彼が
「アフリカ各地で内戦に巻き込まれ過酷な状況にある子供たち」
の存在を知り、スーダンに行き目にした光景に大きなショックを受ける。
※映画「マシンガン・プリーチャー」より
夜に村は襲撃され
焼き払われ
子供達は自分の親を殺すよう脅され
その後、拉致・拷問・強姦・洗脳され
少年兵として殺しを強いられる。
※映画「マシンガン・プリーチャー」より
サムがLRAに襲われた村を訪ねた時に
家族を探し目の前を走り去った少年が
地雷を踏んで両足を吹き飛ばされなくなった。
サムは少年にかけより抱きしめ泣いた。
その時彼は決意したのです。
「この地に教会を孤児院を建て、子供たちを守ろう」と。
何度も襲われ、LRAから命を狙われるサム
サムの決意と行動は苦難・苦痛の連続。
教会と孤児院を建設中に襲われ
やっとできた建物や子供たちの寝床も
焼き払われたり・・
その村を襲い焼き払うレベルが
私の想像以上に酷いものでした。
⇓
※「マシンガン・プリーチャー」より
持ってる武器もホントに「軍用」のようなものですし
この村を焼き尽くす炎も
バズーカとかロケットランチャーっていうんですかね
もうミサイル撃ちこんでくる感じなんですよ!!
サムもさすがに心が折れ諦めそうになり妻に弱音を吐くのです。
何もかも無くなった、ゼロになったんだ、もうダメだ・・と。
しかし、妻は言うのです。
「子供たちは人生を焼き尽くされた、それでも生きてる」
まだ生き残った子供たちのためにできることがあるはずだ、と。
彼はあきらめずに教会と孤児院を建て
ゲリラに襲われないように金網と有刺鉄線で塀をつくり
「自由の兵士」と呼ばれる地元の私兵たちと
子供を救い守る活動に精を出します。
彼の活動は広く知られるようになり
「LRAを狩る白人牧師」と子供達や地元の人から呼ばれるように。
更にLRAはサムの暗殺に懸賞金をかけたのです。
常に資金難:米国富裕層に援助をお願いした結果・・・
はじめは自分の建設会社の利益や
自分の蓄えから活動資金を捻出していたサム。
教会に集まる人々にも募金を募り
地元の富裕層にも活動資金の援助をお願いして回ったのです。
誘拐・拉致され運ばれる子供たちを救いだし
乗せて移動するためのトラックを飼う為に5000ドル必要だった。
※「マシンガン・プリーチャー」より
地元の高級車ディーラーに頼み
彼の主催するパーティーに招かれ
渡された寄付金の小切手
そこに記された金額は・・
※「マシンガン・プリーチャー」より
サムにとって子供たちを救出するための車は
大至急必要だった。
なぜなら 車に乗せきれず残した子供たちの元に
急いで戻ったところ彼が目にしたのはこの光景だったから。
⇓
※映画「マシンガン・プリーチャー」より
この黒い塊が
車に乗せきれず残した子供達。
あの金持ちのパーティーに参加した人たちは
主催者から聞いてサムの活動を知っていた。
でも集まった寄付は150ドルだった。
サムは遂に自宅も何もかも手放し
活動資金に変えてしまうのです。
残された妻と娘は・・・。
教会を守り、今でもサムの活動を援助してるそうです(;;)
その後のサムの家族の様子も
エンドロールで本人たちの写真で紹介されています。
凶暴化し荒れるサムの心を救ったスーダンの少年の言葉
サムは戦場での闘いの日々に
そして自分に
イライラし、怒りをつのらせていた。
いつしかスーダンで一緒に活動する兵士たちからも
「あいつは危険だ、彼の下で働きたくない」と言われるほどに。
そんな孤立するサムを夜中に訪ねてきたのは
頬に大きな傷を持つ無口な少年だった。
(映画冒頭でゲリラに頬を切られ脅され母を殺した少年)
少年は自分の母親殺しの罪を告白し
ゲリラの少年兵となった過去をサムに話した。
そしてサムに向かってこう語りかけたのです。
⇓
「心を憎しみで満たしたら、奴らの勝ちだ」
※映画「マシンガン・プリーチャー」より
強い、そして何よりもこの世界をわかっている。
アフリカの少年少女が過酷な状況でも目が死んでいない理由がわかった気がする。
既に苦悩の中から大事なことに気が付いているようだ。
彼の言葉に心を取り戻したサムは
また子供たちの笑顔のために自分の笑顔も取り戻すのです。
そして家族への気持ちも取り戻す。
罪もなく戦地で襲われ過酷な状況を生きる
アフリカの少年少女は大人達にこう問いかけるのです
⇓
※「マシンガン・プリーチャー」より
私がいけないのか?
私が何か悪いことしたから?
私が悪い子だから?
私のケガは私のせいなの?
私のせい?
泣きながら牧師であるサムや
看護する大人に問いかけるのです。
彼女のセイなわけない。
でも誰のせいかきっと説明にこまるでしょう。
彼女のこの言葉から
私たちが気づくべきことがたくさんあると
思い知らされます。
サムとスーダンの現在~エンドロールを見逃すな!
残念ながら
サムたちと活動を共にしている
「自由軍」のリーダー:ジョン・ガランは
ロシアでの平和交渉に向かう前に
ヘリコプターの事故で死亡。
「21年もの間、平和のために戦ってきたリーダー」と
ニュースが伝える。
ジョセフ・コニーとLRAは現在も
アムネスティの推定では、
LRAは40万件の殺人と4万件の児童誘拐に関与
今もサム・チルダーズは
※映画のエンドロールより(本物のサム)
サムは自分が銃で人を殺していることもちゃんとわかっている。
彼は言う
「正当化のために、あれこれ弁明はしない」
そして続けて
「だが、みんなに問いたい 子供や兄弟のいる人達全員に、
もし自分の家族が誘拐されたら
もしテロリストが現れて 自分の家族を去れっていき
”私が連れ戻す”と約束したら
あなたは方法を問うだろうか?」
この問いへの答えが 全ての答えだということでしょう。
何が正しいことで何が正義なのかは
その時自分がどこにたって何を見つめているかによる。
それは「自分で決めなければならない」。
私は彼ほどの勇気も行動力も覚悟も無い臆病者で
自分の命最優先ヤローですが
「この映画を多くの人に知ってもらいたい」という
気持ちから今この感想文を書いています。
アフリカの内戦と私たちの平和な暮らしは
実は深いかかわりがあるのかもしれません。
では、また。