私は三内丸山遺跡の翡翠の大珠の形状を見て「これは!」と思った。
テニスボール大の翡翠の大珠
中央に穴が空けられた翡翠の大珠
それは私が想像していたパイン飴や笛ラムネの形状よりも
ずっと丸く、厚みがあった…って前回言いましたよね。
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私が見たのはこんな感じの翡翠の大珠でした。
んでね、この形を見た時に
「どうやって 硬い翡翠に…この厚みの翡翠に穴を空けたんや!?」
って疑問よりも先に私の脳内ではこんな映像が湧いておりました。
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これはもしや…やはり縄文時代の数学・幾何学・トポロジーの智恵の産物なんじゃないか?
この我々の世界、宇宙を模した翡翠が奏でる音に、
神秘の響きを感じていたのかもしれない、と思えたのです。
もっと言えば、その音は表面から内世界へと通じる鍵になっていたのかも、と。
これが我々の世界の形だとして、
我々はこの外側(表面状)と内側世界のどっち側にいると思いますか?
どっち側の世界も「マワリテメグル」循環してますが
実はこの穴の中でねじれ内と外(表面)を繋ぐ通路が現れたり消えたり
そんなことが起きてそうな「穴」に見えませんか?
縄文時代というのは非常に「形」にこだわりが見られる文化なので
この翡翠の大珠の形状もカム界~自然の何かを模しているか
そこにある法則性を示しているかだと思うんですよね。
縄文人がつくり上げる立体物の形状がデザインとか実用性を超えて
「狂気の形」してますから。
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そして、縄文人が如何に凄い数学・幾何学・自然物理の知識を持っていたか
ってことを考えるきっかけをくれた1冊がこちら
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ここを踏まえて「石笛の音色」に再び目を向けてみると
また違った感じにみえてくるのです。
(つづく)