今日は「日本人の音感覚~音の智恵」を以って
縄文人を勝手に考察していくよ~
縄文遺跡や縄文土器・土偶などの遺産・遺物がしっかり見つかっているのに
集落・村の跡などから「社会性」も見受けられるのに
縄文時代は「縄文”文明”」として認められておりません(;;)
世界的古代文明として認められない理由の1つに「文字が無いこと」があるそうです。
本当に縄文時代に「文字」は無かったのでしょうか?
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これらの高度な造形技術を持ち、
「儀式」を行っていたであろうとも思える
実用性よりは装飾性がグンと高い土器たち…
それに、土器・土偶の模様から集落の建築にみる幾何学~自然科学の知識
私の勝手な推測と認識ですが、
縄文人は自然の一部であり、今の我々から見るとその超感覚や智恵は
「大自然の精霊」に近い存在なんじゃないか、と。
私たちがすぐに認識できる「縄文文字」はありませんが
話し言葉としての声音言語はあったはずだし
カム界と意識を繋げることが日常的に行なわれていたのなら
「集合意識で人々も繋がっていた」可能性が高く
文字を使っての交流や記録を必要としなかったんじゃないですかね?
古代日本と古代ギリシャに繋がりがあった、とか
古代日本とユダヤに繋がりがあった、とか話しに聞きますし
カタカムナの示しとトートの話しに「繋がり」を感じるので
古代日本と古代エジプトにも繋がりがあった気が…
インディアンと日本人の交流があったと思われる「碑」があるって話もあるよね。
何がいいたいかというと
古代日本人~縄文人って「自然側の存在」でカム界に近いので
超感覚~超自然的能力が覚醒しており
今でいう「ネット」のような世界的意識のネットワークで交流できてたり、
なんなら先に紹介したアポーツ実験で見たような
「物質・物体の瞬間移動」もできてたんじゃないか、と思うんですよね。
そんでね、我々からみて文字と認識できる縄文文字は無いみたいですが
実はカタカムナがそうであるように
縄文人の文字というのも「立体的」であり
大事なことを伝えてるんじゃないか、と。
縄文文字と縄文の数式・物理方程式が
そんな風に思うんです、「世界的古代文明・縄文文明はあった」と。
(つづく)