「主たちの主」たる「無限の9」が自身について語った貴重な場面や!
9の主はどんな存在なのでしょうか?
9の主が自らトートへ語ったという内容がこちら
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あなたはどこまで理解できるだろうか?
よーく主の言葉に耳を傾けて聴いてみてね。
「我、永劫より永劫にわたりて生を知らず 死を味合わわずして存せり」
「されば、汝よ知れ、Oh,人よ、遥かなる未来において生と死は”すべて”と一体とならん」
”無限の9”っていうくらいですから
まー生と死に囚われるような存在でないことは…なんとなくわかる。
しかし、未来においてこの世界におけるすべての「生と死」は
”一なる者=すべて”と一体になるってことがイマイチ…
やはり大統合~大収縮が起こるってことかな?
「各々は他者を均衡化しつつ完成したれば両者とも”すべて”の一体性の中には存せざるなり」
「この周期の人間は生命力が奔放なり、されど完熟せる生命はすべてと一体となるなり」
各々とは「この世界の存在する個々の生命・現象物」を指すのか?
それとも「生」と「死」を指しているのか?
生と死は「対なる二極」だから均衡化した時どっちも消えるのかぁ。
輪廻転生みたいに生と死がループしている場合って
それは「均衡化」に向かってるっていえるの??
「この周期=我々の周期」
「この周期の人間=我々」
生命力が奔放なのかぁ、本来はそんなに個人差ないものなんでしょうかね?
それとも意識の力が強く作用して、本来の生命力の秩序・法則性が崩れているのかな?
それよりも私が気になったのは「この周期の人間は」という表現です。
もしかして別の周期にも「人間」って存在してるの?
私はてっきり「この世界(この周期)」だけの存在かと思ってました、人間って。
じゃぁ、草文明界にいた白人風のおじさんも「人間」なのかな。
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ちょっと話がずれますが
「草文明界」ってさ、どことなく日本の縄文時代ともリンクしている気がするんですよね。縄文時代の日本と草文明世界の人間に交流があった気がする。
(つづく)