安岡先生は「命」の重要性を説いておられる。
そもそも「命」ってどういう意味だと思いますか?
安岡正篤先生関連の書籍で私が読んだり、愛蔵している書はまずこの3冊
これからも安岡先生の本はできる限り、入手していくつもりですが
この3冊は本当に読んで価値を実感してますので、おすすめします。
何度よんでもその時新たなヒビキがあります。
安岡先生が「命」についてこう説いております。
「命」というのは絶対性、必然性を表し、数学的に言うならば「必然にして十分」という意味をもっている。人間も人生そのものが「命」である。それは絶対的な働きであるけれども、その中に複雑極まりない因果関係がある。その因果関係を探って法則を掴み、それを操縦することによって、人間は自主性を高め、クリエイティブになり得る。つまり、自分で自分の「命」を生み運んでいくことができるようになる。
重要なのは後半部分ですが、今日は「命」が示す絶対性・必然性の意と
人間も人生そのものが「命」って部分におもきを置き、
そもそも「命」ってなんや?を考えておこうと思う。
ここで安岡先生が使っている「命」というのは
知命・立命・運命・宿命・生命で語っていることから「命=めい」の意だろう。
だが、「命」がもつ他の響きとも無縁ではないはず。
- 「命=めい」=命を懸けて果たすべきこと
- 「命=いのち」=生物が生きていくための源となる力、継続されるべき但し限りある力、生きてから死ぬまでの生存の持続
- 「命=みこと」=神や天皇などの「御言」を発する高貴な存在への敬意を表し添える語
我々人間でいえば「その人生を懸けて果たすべきこと」といった感じだろうか。
我々「生命」が果たすべき「命(めい)」は何だろう。
「生命(せいめい)」という言葉から幾つか考えてみる。
- 生きる(死まで生をまっとうする)ことが「命」である存在
- 命を生きるための存在
- 命を生み出せる存在
「命」がもつ「めい」「いのち」「みこと」の意味と合わせると
この3つの意味が見事に呼応しあっているようで味わい深い。
ここで重要なのは「私が」「自分が」「己が」、生命の意味を1,2,3のどれで捉え、認識しているかってことじゃないだろうか。
「命(めい)」という響きに「天からの命(命令)」を思い浮かべた時
それは天という人間にはどうしようもない大きな力からの支配を感じたかもしれない。
「令(れい)」の字の成立ちというのは
”神や君主の命令をひざまずき聞く人の姿勢(姿)”を現したものなのだそうだ。
こう聞くと、支配的で重圧みたいなものを感じるがこれは「漢字の成立ち」だった。
日本の古語での「令」はまたちょっと赴きが違う。
「うるわしい」「美しい」「魅力的な」という意味で使われるのだ。
私は古語に現れている日本人の感覚から「命(めい)」の持つ意味を
”天の命と調和して、それを成すために生きる” これが生を与えられた「生命」たる者が
その生を懸けて果たすべき「命」だと理解した。
”命を生み出せる存在”に成るんだと思う。
自らが天・神威と調和した命を持ち、己の使命に向かって進む時、
もしかしたら神の如き創造=命(生命・現象)の創造を成す存在に成れるってことが
「命」「生命」という字と音の響きに示されているんじゃないだろうか。
そう思うと、安岡先生の言葉の後半部分がより重要なことを我々に示してくださっていると感じられる。