得た知識を如何に自分のものとするか?
その方法について安岡先生がわかりやすく説いてくれております。
私が尊敬する偉大な哲人・安岡先生ってこんな人
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安岡先生は「学び」の必要性を説き、
学ぶべきは「人を創る=徳慧の学問」だと示し
そして、学び方まで教えてくれている(;;)
時代を経て評価されている「良書=佳書」を読み、
尊敬できる人物から直接学び、
そうして得た「知識」や「教え」をどう自分のものにするか?
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得た「知識」を見識に、更にそこから胆識へと磨き上げて往く
知識→見識→胆識へと昇華させてゆきなさい、だって。
安岡先生がどの様にこの三識を定義しているかというと
【①知識とは、】
- 講義を聴くだけ、本を読むだけでも得られる
- 薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られる
が、これだけでは人間の行動力や信念にはならない。
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【②見識とは、】
”知識+人格+経験+体験” から得た悟りなどが内容と成って
『事にあたって、これを解決しようとする時に出てくる』もの。
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【③胆識とは、】
更に「決断力+実行力を持った見識」が胆識
つまり、自分の決断力・実行力の基礎(根源力)となる胆識まで
得た知識を自分の血肉に落としこまねばならないというのだ。
自分の力とするまでいかねば「修養」といわないようだ。
んで、そのためには「学ぶしかない」と先生はいうのだ。
- 先哲・聖賢によって道を学び
- それに習おうとして切磋琢磨する中で
- 次第に人物が練られ、器ができてくる
切磋琢磨・思考熟考するなかで 人は練りあげられ強くなり大きな器となる。
そう「人は自ら創りあげる器」なんだね。
その出来上がった器に何を入れるかがまた重要な気もするけど。
エゴで器をいっぱいにするのか、カタしたカムナを受ける器となるのか?
実際に経験・体験をどんどん積んでいくことが大事なんやな。
トートもそのために具体的に色々教えてくれてたしなぁ。
トートが教えてくれたアメンティーに往く呪文の中に
「アドーム」って音の響きがあって
どうやら古代の言葉で「神の祝福を受けし者」って意味らしいんだけど
私の推測では「アドーム→アトム→アダム」なんだと思う。
(つづく)