プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【日本魂】安岡正篤氏に学ぶ~人間学:学びの四焉

「学ぶ」ということには四段階のたどるべき段階があるそうです。

自分の「これまでの学び」を見直す好機になるかもしれません。

私が尊敬する賢人・偉人「安岡正篤」氏ってこんな人

 

 

 

 

 

安岡先生が「学びの道」を学記の四焉に照らして説いてくれております。

「学記」の「四焉」とは

”君子の学におけるや、焉(これ)を蔵し、焉を脩し、焉に息し、焉に游ぶ”

ここで大事なのは「息・游」の域に達することだと安岡先生は語っている。

 

第一に「蔵」して、学んだことを自分の中にとり込む

まずは素直に、謙虚に学びその教えを自分の中に受け入れるのです。

 

第二に「脩」して、学び得た人の教えを自分のものとして整理・加工・研磨していく

蔵で自分の中にとり込んだ学びを、自分の経験と融合させ磨いてゆく。

 

第三に「息」して、刻苦勉励して自分のものとする。

刻苦勉励の学びへの取り組みの中で休息を取る時、自分独自の思想が磨かれ、自分独自の世界が息吹を上げてくるというのです。

「知識」として身についている、というのではなくもはや「呼吸」するように学びと自身が一体化した状態をいうのではないか、と(私の解釈)

 

第四(最終段階)が「游」、”これに遊ぶ”境地

「游=あそぶ、およぐ」の意であり「さんずい」があるので

優雅に流れる川の水に同調して泳ぎ遊ぶように、心地よい「動」へつなげることを指しているんだろう。たぶん「舞い遊ぶように学びを使いこなして事を成す」ってこと(私の解釈)

 

安岡先生がいうには、「游」こそが東洋の学問・芸術の最高の境地なんだそうです。

そういえば日本の神様も踊りや音楽好きだよなぁ。

本来「動(行動)」というのは、ただただ現象界に直接大きな変容・作用をもたらすものではなく、それは優美な動き(調和の美の舞)からくるものだってことを指しているのかもしれません。

 

神の創造も人間の創造も、その根源は「游」からくる生成であり

創造にとりかかっている間は「悦楽」の心地に包まれているのかも。

なるほどなぁ。なんか日本神話が示していること凄く深いよね。

 

(つづく)

 

 

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