読書の心得というか、本との向き合い方ですな。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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本日は非常に簡潔に、安岡先生が大事にされていた「読書」がどんなものかに触れたい。
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虎閑禅師の言葉、
『古教、心を照らす。心、古教を照らす』
安岡先生はこの言葉について、
『まことに教えられ考えさせられる深い力のある言葉だ』と語っている。
「古教」とは単に”古い教え”のことではなく、
”古くから今に語り継がれている、優れた教え”のことなのです。
時を経て、時代を経て人々が大事にしている教えなので「不変の普遍な原理」ともいえるかもしれません。そういった要素が含まれている「教え」なわけです。
そういった「古教」に我々が触れる時、多くは「書」の形を取っているのではないかと思われます。故に『古教心照、心照古教』は徳慧の学を修めるための読書の心得として捉えてよいと思われます。
安岡先生曰く、これは読書の二段階を示しており
【読書:第一段階】
これは素直に「そうか、そうか」と書物から学ぶ読書で、書物が主体で読者が受け身な読書法(読書姿勢)
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そこから、進んで
【読書:第二段階】
今度は”自分が主体となって”同じ書を読んでみる。
こういった読書が人物を練り、人物を創っていくのだという。
第一段階の読書で得た「知識」としての他者の経験や知恵に「そうか、そうか」と新鮮な驚きと学びを得ていた立場から一歩進んで、
自分の体験・経験・見えてきた真理と結び付けて書物に書かてれいることが「己の実感」として味わえた時、また書物と同じ目線・もしくは一段上の視野に立って書物の内容を見つめることができるようになった時『心、古教を照らす』になるのではないでしょうか。
私は今後「古事記」の解読に挑むつもりでいるんですが、
この2段階を意識して進んでいこうと思います。
(つづく)