多世界解釈で一番の おもしろポイントではなかろうか?
この寄り道は、「縄文の智恵」を解読するためのものですので
先に縄文の智恵(古代日本の叡智)に触れたい場合は寄り道せずにこちらへ
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これを理解するためには「現代科学の知識と知恵」と古事記の解読が必要になるかと思われますので、先に「古事記」も読んでおくといいよ~
んで、現代科学の智恵に触れるべく私が今寄り道している「量子論の世界」を優しく案内してくれる1冊がこちら
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では、多世界解釈まできましたので~
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ここで、「多世界解釈における観測者がどうなっているか」を見ておきましょう!
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なんと~多世界解釈では「私たち観測者自身も、それぞれの世界に枝分かれして存在している」ことになります。
枝分かれした それぞれの観測者(それぞれの私)は、「自分がどの世界にきているのか」を電子を観測するまで断定できない、わけです。
電子がA店にいる世界or 電子がB点にいる世界or 電子が…
このどこの世界に観測者私がきているのかは、電子を観測し位置を確かめないと断定できない=観測して位置を確かめれば確定する。
宇宙のはじまりから考えた時の「世界分岐」のイメージ図を使って説明すると、
「私は、今の私がいるこの世界しか認識できない」ってことと同じです。
分岐し別れた別世界(別宇宙)に入ることも覗くこともできないんだから。
但し、事前に確率的に予測することは「波動関数の確率解釈」を用いて可能なり。
つまり暗中模索、無限の可能性のロシアンルーレットってわけじゃなく、この世界に働く真理の法則性に従って「確率的な予測」はできるってことやな。
ってことは…真理に近づき、法則性を掴むほどに分岐を観測者もコントロールできる、ってことのようにも思えるんやが…私が科学者に非ず故だからか。。
こう見ると「客観性」「客観的事実」っていうのが「ない」やないか~って気づくよね。だって観測者ごと世界分岐してるんだから。分岐した先の別の世界の私は別の結果(現象・現実)を見ているわけですから。
んで、多世界解釈が面白いのは、ここからなのです。
「ミクロの物質については」分岐後に”驚くべきことが起きる”ことあるっていうてるんです~
「えっ!?」ってなると思いますので、頑張って図解できるよう準備できたらいいな~
(つづく)