この映画タイトルは「…」までを含む、ということに今、気付いた私です。
映画のタイトルが「28日後」と「28週後」がいつもごっちゃになってしまう(--;
どうやら「28日後…」が先で「28週後…」が続編という関係らしい(ほほ~)
「28週後…」から見ても全然大丈夫に創られております。
【映画 28週後…~感想】
とんでもない凶暴にして脅威的なウィスル感染が街(都市)に広がっていく様子を映した映像と共に流れる「陰鬱」とした音楽が秀逸にして印象に残る映画です。
加えて、2度目の鑑賞だったこともあり、あの「クズ親父」の動向に注目しながら観てたら、気が付いたんです、「こいつ~!!!」って。
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(感染ゾンビ)に追われている時は超薄情・非道にして超速の逃げ足を見せつけていた「妻を見捨てダッシュ逃げ」親父ですが、自分が追う側に成った途端に「超しつこく追いかけてくる、執念の鬼っぷり」なんです。
コイツ、鬼ごっこの天才か⁉
しかし、米軍とNATO軍による、保護区内における感染者出現時の対応「コード・レッド」を見ていると…やはり西欧社会って「切り捨て」つーか、感染者と非感染者を見分けている時間はないから「保護区(街・都市)ごと全部殲滅しちゃおう」って策を実行するところに一番の恐怖を感じた。
印象に残ったのは、街を警護している狙撃兵たちに
「地上にいる者は皆抹殺せよ」という命令が下ったこと。
上にいる人間と下にいる人間の差を感じたよ。
危機的な状況ほど「ターゲット(排除対象)」の括りはでっかくなるから…その恐怖もヒシヒシとかんじました。
感染が広がりはじめた地上に於いて、「そこにいる人」それぞれが感染者かそうでないかの確率は50%づつにしかビルの上など高層部にいる狙撃部隊にはわからない。
「ならば感染の確率50%でもあるものは皆消しておこう」という判断、目的(これ以上の感染を食い止める)に対しては非常に効率的ともとれる…AIが人間社会の政治的な判断に関わる様になったら、もっとこういう効率最優先の「計算」的判断になっていくんだろう。
その結果、世界はよりよくなるのだろうか?
「計算」だけでこの世界の最適解に人々を導けるのだろうか?
この映画は実は「そこ」に対し挑んでいるのかもしれない。
これまでのデータに基づく「計算」では、想定外のイレギュラーを人間は起こす。
あの少年とその母親の存在と「彼らの存在の重要性」に世界が気付けないことも確率・計算に頼り目の前の重要な「特異」を見逃してしまう人類への警告か!?
あの2人には生きていてほしかった…