量子の産声は光の研究から生まれ、
量子論の扉を開いたのは「原子」の研究だったよ~
確かに「電子の奇妙な動き」ってのは、
オモタルあるエネルギーの超塊=物質的な見方では理解できないものがあるよね。
寄り道の現在地は、「プランクから⇒ボーアに行く道中」でございます。
無知な私の「量子論」案内人(本)がこちら
では量子論=ミクロ世界の物理学へGO!
19世紀~20世紀のはじめ頃
当時、世界中の科学者たちの頭を悩ませていた問題が、
『原子の内部構造はどうなっているのか?』
ちなみに、あなたは原子の内部構造をどうイメージ(理解)していますか?
頭にそのイメージを描きつつ、この寄り道をお楽しみください。
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『あらゆる物質は原子からできている』
そんなん、知ってます、みんな知ってます!って思うでしょ
でも、「みんな知ってる」と思っていることほど実は皆何もわかっていなかったりする。
【原子という認識に至るまで】を見ていこう。
古代ギリシャの哲学者デモクリトス(紀元前460年~紀元前370年頃)は
”あらゆる物質は極微の小粒子が集まって構成されている”という概念を示している。
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デモクリトスはその「物質を構成する究極の微粒子」のことを『atomos』と名付けた。
その意味は、”(これ以上)分割できないもの”。
英語では「アトム」と呼ばれてますよね。
カタカムナだと「(カ・ヒ・ミ⇒)イ粒子」のことになるかな?
んで、ここからだいぶ時間が経ちまして…
近代科学に於いて「原子」の概念が導入されたのは、なんと!
19世紀初めのことだった、というのです(驚愕)
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イギリスの化学者ドルトン(1766~1844)が、
”純粋な物質(元素)の数と同じだけの種類の小さな粒子=「原子」が存在するだろう”という原子説を唱えたのです。
この「原子説」は化学反応の様子や化学法則の意味を見事に説明できたため、
近代科学の基礎理論として定着した、んだそうです(遅!?)
高性能顕微鏡などを使って原子1個の像を実際に見ることができるようになったのは最近のことなんだそうです。
(‘~‘)う~ん、でもやっぱり引っかかる。
古代ギリシャの哲学者デモクリトスの「atomos」の提唱から19世紀初頭まで間空きすぎじゃね!? その間にもっと考察・研究が進んでもおかしくなかったんじゃ…人類の知の探究に何があったんすかね?
人類の進化同様に「人類の智の探究」においても「謎の空白期間」があるのか??
そう思うとね、超古代日本人(仮)カタカムナ人がウタに残し示してくれた「コトのハジマリ」って真理を突いているような気がしてきませんか?
では、次に「電子」の発見に至るまでを見ていきましょう。
(つづく)