よし、カタカムナ80首の解読(一周目)を終えたので、二周目に入る前により理解を深めるために別方向へ探究の旅を進めていこう。
ちょうどカタカムナの解読も終盤というころに私に「ある思い」が湧きあがってきた。
カタカムナやトートも古代の叡智も皆が「潜象界の力>現象界の力」と示してくれている。それは私も「そうだろうな」と思っている。
しかし、こういった話の支流に「潜在意識・潜在能力」崇拝みたいなものがあって
「肉体は魂や本来の力を拘束・制限する為の入れ物(器)」というような捉え方をしている節があるが…私はふと
『そうだろうか? わざわざエネルギーを超凝縮して肉体が創られたのにはもっと深い意味があって、我々が肉体が持つ本来の力を発揮できる”使い方”を知らないからではないだろうか!?』
と思いはじめたのです。
肉体・精神・魂で三位一体ならば、潜在意識や精神と同様にカムアマを超越した力(神秘の力)を「肉体」も発揮できるのではないだろうか?と考えたのです。
その始まりに「歌=声、言霊、音霊」や気・気功があるのだとして、もっと肉体丸ごとつかって超越した力を発揮する方法があるんじゃないか、と。
「絶対にそうに違いない」とさえ思えてきた(根拠なき自信に満ち始めた)ころ、
ちょうど私はある本と出会ったのです。
↓
私の根拠のない自信は「確信」になりました。
同時に、私は今まで「合気道」というものを誤解していたことにも気付けた。
「合気道=相手の力を活用した護身術」という認識しかなかったのですが、
大間違いでした!
不思議なことに、植芝先生の世界に触れたことで
「古神道の行法・秘伝」にあった動きや行いの根底にあるものが見えてきたのです。
加えて、日本神話、古事記が示す世界の理解も格段に上がったように
自分では感じております。
と、いうことでこれから「古代日本謎解き」の旅は
「肉体の真意」に迫るため「合気道・植芝盛平」氏の世界に深く入ってゆきます。
(つづく)