「先天のヒビキ」が「後天のヒビキ(音)」を生んだ、という話が理解できたら先へ進もう~
古代日本の智の探求にはまっている、私です。
日本語のヒビキの神秘構造、カタカムナが示す「この世のカム―アマ構造」、などに触れ、魂・精神・肉体の三位一体が「人」ならば 「肉体」もまた「カム―アマ構造態」であり、カムの力を引き出すスイッチが在るはず!と思いまして~
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合気道の祖:植芝盛平氏が説く「武産合気」の世界を覗きこんでおります。
では、「先天の響⇒後天の響」の話しの続きへ
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盛平氏は「一元が75の言葉を生む」と表現しており、その一元が生んだ「75の言葉」を「先天の響」とし、更に「大御親75の御声」と述べております。
「大御親七十五の御声もて森羅万象をつくりたもう、とあるが これをよく神習い その真理によっていろいろの技を生み出してゆくことである」
合気道の技の発生の仕組みは「神の造化=その法則・真理」と同じ、だと。
だからこそ「先天の言葉=ヒビキ (75の言葉・音)」を感得する必要がある、と。
「ここ」!
ここが盛平氏がいっている合気道における「鎮魂帰神⇒神人合一」の地点。
古神道の鎮魂帰神も神人合一に至る道なわけですけが、古神道の帰神法はどちらかというと「神降ろし」「神がかり」により神託を受けるイメージが強いのではないでしょうか。
神事でみると「客観的」になってしまうので、神を下し「社」となった巫女のことを「己を無くし、神に肉体を明け渡した人」に見えるかもしれませんが、植芝盛平や川面凡児が説く「鎮魂帰神法」では、私の意識を保ったままに「神人合一」に至るようなのです!(この驚き伝わってますかね?)
「鎮魂帰神⇒神人合一」がどんなものなのかをもっと具体的に知りたい、と思う私に盛平氏や八卦掌の孫禄堂がそれはこういうことやで~と教えてくれた。
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”先天と後天との融合”のことやで~、と。
ここで私はこれまでずーっと「神>>>人」の意識をもちながら「神人合一」を見ていた己の解釈に大きな誤りがあったことを悟った。
そのきっかけは孫禄堂の「この言葉」
「先天が無ければ、後天の根本が立たない。
後天が無ければ、先天は完全なものとはなり得ない」
ここで私は神鳴り(雷)に打たれた、のです。
「神>>>人」の意識のまま「神人合一」には往けない、と。
(つづく)