「あ」「い」「う」「え」「お」…「ん」まで
ここの日本語の原音のヒビキをイメージで捉えられていますか?
身体のカムアマ構造を探り、肉体的な「カムの力発揮スイッチ」を見つけようとしている私です。
そんな私の前に現れ、導いてくださっているのが「合気道の祖:植芝盛平」氏なのです。
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では、前回の続きへ
シュナイターは「芸術的な創造行為が、太古の諸言語の中にある」と言っていますが、ありがたいことに「日本語の音・ヒビキ」というのは太古から変わっておりません。
太古からの口伝「ひふみ祝詞」や「あわ歌」を聴いても、今の日本語の50音(48音)のヒビキのままです。
どうやらシュタイナーは「言語のそれぞれの音の響き」をイメージとして捉えることができるまでに至っていたようで、そのイメージされた言語の響きは「動き」となって肉体に現れる…というか、響が身体に作用して「動かされる」感じだったようです。
神降ろしに近い感じもしますが、
言語の音=言霊のヒビキを「イメージとしてとらえる」感覚を磨いてゆくと、言語の有する音が”自ずから動きとして”も感得・表現(降りてきて・勝手に動きとなって顕わ)されるんだそうですよ~
なんとなくですが、「自分の内を鎮めて・心の中を無音状にした時」純粋に言霊の響を感得し、勝手に身体が動く域にいけそうな気がしております。
だから鎮魂と帰神はセットなのか。。。
植芝盛平氏は日本語の75音(根源の75声)との「むすび」により、それぞれの音の動きを得て「 神楽舞」で表現していたようですな。
ただただ「無知」状態からはじめるよりは、カタカムナや神代文字が示す「一音一音の意味」を知ってから、純粋に日本語の音を心で受け止めてみる方が道は明るいかもしれません。
(つづく)