己の心身と天の水(みづ)の「むすび」を感得する為に
古代日本の叡智を探る(古代日本人が残してくれた宝を探す)私です。
身体に秘められし「カム×アマ」の構造~力を探るべく「合気道の祖・植芝盛平」氏が説く世界を覗きこんでおります。
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己の心身と天の水の「むすび」を得るためには、
”むすびの兆しをとらえる”ことが大事だという。
ただ、この「むすびの機(兆し)」というのは
”見ようとして見えず、感じようとしても感じられない 微妙極まりないものである”
とされている…では、どうすればいいんや(‘~‘)
天之水と己の心身の「むすびの兆し」は見ようとしても見えず、感じようとしても感じなれるものではない、としても天地の造化に於ける「むすびの兆し」は我々の周囲に溢れている。それが「生命の生吹(芽吹き)」だというのです。
自分の事は自分では見えないが、鏡に自分の身をウツシて見ることができるように「相似象」である「むすびの兆し」を周囲から探し感じ取ることで、それを己にウツシかえせばいい…ということではなかろうか。
「古事記」からもその「生命の生吹=むすびの兆し」を感じられる処がある。
それが「第四の神・ウマシアシカビヒコヂ神の出現」場面なのです。
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造化三神が姿を現して すぐに身を隠された後、
次に国稚く、浮ける脂の如くして くらげなす ただよへる時に、葦牙の如く萌え騰がる物に依りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神。
(「古事記」より)
ここ!
ここに「むすびの兆し」が描かれているというのです。
「葦牙(あしかび)」とは「葦の芽」のこと。
その形状はまさに
私はこの「葦芽」の形状というのは「2つの円の交わり」から生成されたものだと解釈しております。
高御産巣日神と神産巣日神の神霊力の「むすび」によって生じた「光(生命の光)」。
「萌え騰がる」という表現から、その光は「生命の火」状態に燃え輝いているはず。
ただの光ではなく「熱」をもっている。
この「生命の火・光」を「物に依りて=物実として」生まれたのが
つまり、生命の火・光から「成れる神」なのです。
生命の火・光のウツシであり、その神霊力そのもの。
何度も言ってますが、私はこの第四の神=生命の火・光というのは、
この「生命の種・実」であり、生命の核となるもので
これは「天之御中主」のウツシ(相似象)であると考えております。
最初の「・」である天之御中主と 形も似ているし。
似ているというより、天之御中主の「・」を内包している感じのが強いか?
まー「むすびの兆し」をとらえるなら、
「ウマシアシカビコヂ神」の姿を想像するよりも素直に「葦芽」と示されているように自然界に溢れる「生命の生吹・芽吹き」に触れ五感で感じ 「むすびの感覚」を得る方が早いかと思います。
身近にある「生命の生吹・芽吹き」に触れた時、そこに造化の働きや第四の神が示す「生命の火・光」のイメージを重ねウツシできたら 天之水と己の心身との「むすび」の感も得られるのかもしれません。
赤ちゃんや動物の子どもに出会った時に自然と心に湧く「何といえない愛おしさ(喜び)」というのもそこに繋がるヒントなのかも。
(つづく)