「あ”!!」となった。もっと早く古事記を詠んでおくべきだった…
ただ、また古事記の「詠み方(節と正確な音)」はわかってはおりませぬ。
古事記は「序文」から、隠された智がたくさんあって面白いぞ~
日本語の奥深さを感じられます。
では、古事記序文の解読の「つづき」へ
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然れども乾坤初めて分かれて、参神造化の首と作り、陰陽斯に開けて、二霊羣品の祖と成れり
(古事記・序文より)
古事記は「詠む」ものなので、その音が非常に重要な意味を持つ…ということに注目して、この部分の「読み音」をご覧ください(実際に声に出して読んでみてほしい)
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”然れども乾坤(あめつち)初めて分かれて、参神(みはしらのかみ)造化の(あめの首(はじめ)と作り(なり)、陰陽(めを)斯(ここ)に開けて、二霊(ふたはしらのかみ)羣品(よろづ)の祖(おや)と為れり”
然れども→前の文に掛っております
「気象(いき・かたち)も無く、名も為(作用)も無い、宇宙のはじまりの混沌が固まりはじめた状態」から→”然れども”で変化が起きたことを示している。
ここで私が注目したのは
- ①「乾坤」の読みを「あめつち(天地)」としていること
- ②「造化の首」の読みを「あめのはじめ」としていること
- ③「陰陽」の読みが「め・を」であること
- ④「参神(みはしらのかみ)」と「二霊(ふたはしらのかみ)」の書き分け
- ⑤「羣品の祖」で「よろづのおや(万の親)」とされている
①「乾坤」の読みを「あめつち(天地)」としていること
「天地」と表記せずに「乾坤」とわざわざ書いているということは、八卦に関係があると思われます。
【八卦】とは、ざっくりと「この世の万物を成す陰陽の組み合わせ・素」
八卦で見る陰陽の関係がこちら
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そんでもって「乾坤」の関係がこちら
「あめつち」を「天地」ではなく、わざわざ「乾坤」と表記したことを考えると…
『乾坤初めて分かれて』で表現されているのは、八卦にみるこれらの発生・関わりが生じたことを示しているのではないか!?
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※「これら」ってのがこちら
心の片隅にメモしておいてほしいのは「地=000」であること!
②「造化の首」の読みを「あめのはじめ」としていること
カタカムナの解読でも「アマ」と「アメ」が示すもの、その違いは何か?に頭を悩ませてきましたが、なんと古事記・序文にそこ答えがっ
アメノ・ハジメ=造化の首
って書いてあるやないか~
「アメ=造化」だと!!
「アメノ~=造化の~」ってことやったんか~
アメ=天・雨・編め
- 天(あめ)=造化機関・造化の働き・造化の意志 そのもの
- 雨(あめ)=造化のエネルギー、造化の祖の分身・分霊
- 編め(あめ)=造化の働き・動き・生成の構造
③「陰陽」の読みが「め・を」であること
「陰陽」を「め・を」と読むということは、「アメ(生命の芽)」「アメ(感じる芽)」というのは「陰(0)」から来ているということではなかろうか。
ちなみにこの先「男(をとこ)」「女(をとめ)」と出てきますが、どちらも「陽(を)」から始まっている。そして「女」は「陰と陽の重合」になっている⁇
それとも「男=陽の処(陽の場を創るモノ)」「女=陽を留めるモノ」という意味か?
④「参神(みはしらのかみ)」と「二霊(ふたはしらのかみ)」の書き分け
参神=造化三神
こちらの三神については「かみ=神」の字を使っている。
これに対しイザナギ・イザナミの二神については、『二霊』の字を以って「二柱のかみ」としているのです。
これは、この世の万物の祖であるイザナギ・イザナミは「二霊で一対(一組)」であることの強調なのではなかろうか。
⑤「羣品の祖」で「よろづのおや(万の親)」とされている
「羣・ぐん」→意:群れ、同じ種をもつ集団、多くのモノが集まること
「群」と同じ様に「伊(神聖な)+口+手」から成る字だそうです。
つまり「神聖なモノを手にする象形+口にする象形」ってこと。
「羣品=よろづ・この世の万物万象」を指すということは、
この世の万物は、神聖なモノ+その集まりであるってことですよね。
あと、まだ深部が見えないのですが「祖=おや」と読むところに重要な意味がある気がします。
(つづく)