「月は見た時にだけ在るのか?」という問題から続きまして~
「この世界に絶対の客観的な事実はあるのか?」という問いへ
無知な私に「量子論の世界」を優しく案内してくれる良書(おすすめの1冊)
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「量子論の言い分が正しいのであれば、月は我々が”見た”(観測した)から そこに在り、我々が見ていない時は そこにはないことになる(そんなのおかしいやろ)」
というアインシュタインの指摘に対し、量子論はどこまでもクールにこれまでの常識を否定してくるんだぜ~
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量子論を突きつめて考えると
『誰も月を見ていない場合、月はある一カ所には”いない”ことになる』
アスペの検証によると、この量子論が導く答えの方が「事実」らしいのだ。
んでな、そうなってくると「月の存在」だけではなくて、量子論が示した事とは「これまでの我々の常識」を根底からひっくり返すものだってことなんや~
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【これまで(量子論以前)の我々の常識】
- 「客観的な事実」というものが在る(と信じて疑わない)
- 自然界のあらゆる事物は、私たち(人間)と無関係に存在していて、私たちはその様子を客観的に観測できる(と考えていた)
つまり、我々が見ていようがいまいが関係なく、自然界のあらゆる事物は自然法則にそって存在していて、我々はそれを客観的に観測することで「自然界の法則」を知ることができる、というわけですよね。
しかし!
量子論は「そうじゃねーよ!」と言うのです。
- 自然は観測によって状態がはじめて決まるもの
- 誰も観測していない時、すべては決まっていない
- 自然の真の姿は「曖昧」で確定した事実は何一つ存在しない
つまり「客観的事実なんて存在しない」と。
「自然のありのままの姿」を我々は見ることはできないわけっす。
我われが「見よう」とすることで、観測による作用が発生してしまうからね。
まー「見えていないことは、なんだかよくわからない」で正解ともいえるよね。
この世界は無限の可能性が広がっている、ようにも思えるから逆にワクワクしていい気もするんだが。
ただ、今まで「安定」して見えていた世界が急に「とんでもなく不安定」なものだと知らされたようでその点ではちょっとドキドキするわね。
「見えた」「見える」から、これは絶対の事実とも言い難い。
月ではなく、今度は「太陽」で考えてみる。
昼に太陽を見上げて「あー今 太陽は”あそこ”にあるな」とその存在を確認したとしよう。もう目に見えて「あの位置にある」わけですが、太陽と地球の距離を考えると…私が今見た(見ている)太陽の姿は「約8分前のもの」といえるのでは?
ってことは「今私が見ている太陽」は「太陽の残像」に近いものなのか?
と考えていくと…やっぱ量子論はこの世界の本質を突いているような気がする。
では、この世界は不安定な幻・あらゆる可能性の重ね合わせによる 揺らいだ世界なのか?という悶々とした私の思いに応える様に、ボーアは「相補性」という概念を使ってこの世界を説明してくれるのです(‘~‘)
(つづく)