実に奥深い、古事記は実に面白い造りを成しております。
「序文」の段階で多くの発見があり、ゾクゾクしてきますぞっ
私がおすすめする「古事記」入門の書はこちらです。
私が毎日手にとり読んでいる1冊っす。
↓
では、さっそく「古事記・序文」の第四文目へ
↓
故、太素は杳冥なれども 本つ教へに因りて土を孕み島を産みし時を識り、元始は綿邈けれども先の聖に頼りて神を生み人を立てし世を察れり。
(古事記・序文より)
日本語は「音」が大事、音がはじめにあり意の示しのために漢字が当てられていますので、まずはこの部分の「読み・詠み」を確認していきましょう。
↓
”故(かれ)、太素(はじめのかたち)は杳冥(ほのか)なれども本(もと)つ教へ(をしへ)に因りて土(くに)を孕み(はらみ)嶋を産みし時を識り(しり)、元始(あめつちのはじめ)は綿邈(とほ)けれども先の聖(ひじり)に頼りて 神を生み人を立てし世を察れり(しれり)”
驚くべき情報がパンパンにつまっている!
「元始(あめつちのはじまり)」よりも前に「太素(はじめのかたち)」が存在していいたわけです。
【私的:注目すべき「ことば(音の示し)」】
- 「太素(はじめのかたち)」→天地開闢以前の混沌とした状態
- 「杳冥(ほのか)」→奥深く暗いさま、暗くはっきりしない様子
- 「本つ教へ(もとつおしへ)」→古伝の大本の教え
- 「先の聖(せんのひじり)」→先代の聖天子
- 「元始(あっめつちのはじめ)」→物事のはじめ・おこり
- 「孕み(はらみ)」→女(雌)が腹に子を宿す、植物の芽吹きのふくらみ・蕾
私なりに解読で重要とした部分を書きだしていきます。
↓
①太素は杳界なれども
調べた言葉の意味でここを読み解いてみると、
→”天地開闢以前の混沌である「太素・はじめのかたち」は遥か遠いことで奥深く暗いその姿をはっきりと知ることはできないが” となる。
「太素」は(時間的にも場所的にも)遥か遠く、奥深く暗くてはっきりとは見ることも知ることもできない…これは「大深淵・原始の海(ヌン)」と重なりますよね。
②「本つ教え」と「先の聖」
この世界のはじまり、「元始(あめつちのはじめ)」を我々に教えてくれる・我々が知ることができるのは、「古伝の大本の教え」と「先の聖(ひじり)」のおかげだっていってますよね。
先代の聖天子に伝わる「古伝の大本の教え(神の教え)」が確かに存在している、ということですよね。
天地創造からこの世界を生成化育する力・そこにある法則を伝える「大本(おおもと)の教え」で湧くイメージといえば「アカシックレコード(アカシャ年代記)」ではないでしょうか。造化のすべての記録に聖天子はアクセスできるか、その智恵を伝授されているのでしょう。
これから「合気道の世界」でも重要になってくるので、これらの”古伝の大本の教え”を継承している「聖(ひじり)」という存在・その言葉のヒビキを忘れないように心と意識に刻み込んでおいてください。
「聖」とは「ヒを知る者」なのです。
③天地開闢=元始(あめつちのはじめ)
ここで天地開闢=天地の創め というのは「元始=物事のはじめ・おこり」であると明確にしめされております。
つまり「天地開闢」とは「物事=現象界・顕現界のはじまり・おこり」なのです。
カタカムナが示すように「アマ界のはじまり」のことなのです。
たぶん、カム界は「別天~さらにその上」にあるようです。
ここに書かれている「天界=高天原」も我々の領域…というかアマ界内なのです。
④土(くに)を孕み嶋を産みし時
天地のはじまり・起こり、そしてこの世界が姿を現す その生成にはイザナミ(生成祖神)による「土(くに)を孕み、嶋を産む」という『胎内』があるのです。
生命が生成され、外界に姿を現すまで大事に大事に「内側世界で守り育んでくれる」母の胎が在るのです。土(大地)も嶋もこの母の胎から生まれているのです。
生れている、というより産みだされているという方が正確か。
つまりですね、我々は外界に現れ、呼吸をする前までは「別界にいる」ということなのです。生成祖神の母の胎(神の内なる世界)に芽吹いた命なのです。
なんだか、もの凄く大事なことが教え示されている気がします。
(つづく)