プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【日本魂】安岡正篤氏に学ぶ~人間学:「利によって行へば怨み多し」これ利の本義を知らぬ故なり

「利」という言葉の意味をあなたはどう理解していますか?

私は「利」と聞いて、真っ先に「利益」の二文字が思い浮かんだ。

私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人

 

 

 

 

本日は「利」について、考えさせられるお話っす。

『利によって行へば怨み多し』論語・里仁編より)

世の中の人々は、私もあなたも皆「利」を追って暮らしている。

しかし、利を求めてかえって利を失い・利によって誤られて、際限もなく怨みを作っている。それは「利とは何であるか」ということを知らないからである。

(『論語の活学』より)

 

”皆が利を求め、利を失い、怨みを作り続けている”

この状況が古から今日まで続き・繰り返されていると「論語」も安岡先生も嘆いている。この場合の「利」とは「私利私欲」のことを指すのではないだろうか。

 

では、「利の本来の意味」「利の本質」とは何なんだろうか?

ここを自分の頭で考えることが今日の課題です。

安岡先生の答え・解説を聞く前に、自分で「利」と向き合ってみる。

さっそく「利」の意味を調べてみた。

  • 利益(精神的なもの、物質的なもの、金銭的なもの)
  • 戦などに於いて、有利・優勢・であること、勝利すること
  • 都合が良い、便利、役に立つこと
  • 刃物や頭脳などが よくきれること→「鋭い切れ味(鋭利)」

やはり「利益」「勝利」「便利」「鋭利」という言葉に辿り着くようだ。

全体的には「得をえる」というイメージがベースにあるように思える。

 

んで、更に「利する」という動詞にして意味を調べると

  • 為になるようにする
  • うまく使う
  • 救済する、罪から救う

となり、「利」の方向性がはっきりしてくる。

『状況をより善いモノに変えていく・整えていく』という意志が伺える。

利は「より良い」方向へと目を向けている言葉なのだ。

 

ついでに「利かす」を調べたところ、これが「利」の神髄かも、と思える意味の示しが!

→”特性を働かせて、特に効果があるようにする”

私的には「これだ!」と思った。

 

「利」とは自分の特性を活かして、自分+自分の環境(世界)を「より良い」方向に状況・現実を整えていくことなんじゃないか、と思ったのです。

(ここまでが、私なりの「自分の頭で考えてみた」)

 

では、安岡先生が説く「利の本意・本質」をどうぞ。

  • 「利の本は義」(「春秋左伝」)
  • 「利は義の和なり」(「易経」)

という先哲の言葉を借りて、

「本当に利を得ようとすれば、『いかにするこが”義”か』という根本に立ち返らねばならない。利の大本は義であり、利は義の合計なのだ。利を先に求めたら間違ってしまう。」

安岡正篤 人間学 (講談社+α文庫)より

と語られている。

 

義を尽くした分、利が得られる。

義を尽くせば、自然と利がついてくる。

そういうものなのだ、ということだと私は解釈しました。

 

利を求めることは悪い事ではないのです、その点は安岡先生も先哲たちも責めても否定もしていないのです。ただ「利の本質」を見失ってはいけないと説いている。

白隠禅師の「無尽燈論」には、こうある。

『君子財を愛す、これを取るに道あり』

これは君子は家や国(家族や国民)の繁栄の為に「財を求め、財を愛する」ものだと肯定しており、その愛する財を得るためには正しき道(正道)があり、そこを往かねばならない、と説いているのです。

 

利を考える時・利を求める時は「私個人」という小さき認識の私ではなく、君子のように「私の家族・私の世界という大きな私(全体の私)」の立場・視点から「良い方向」へと考えることが大事なんでしょうね。

そうすれば、全体を良い方向に整えていくのに 誰の怨みもかうことはないものね。

 

まーそんなに難しく考えなくとも、誰かを犠牲にしたり、誰かから奪ったり、騙したりするのではない、他人の幸せを侵害しない方法で「自分の利」を追い、自分を満たし常に笑顔でいられるなら「私のいる世界全体の利」に貢献することになるとは思うんだよね。 自分一人→自分の家→自分の半径10mの世界とだんだん範囲を拡大していけばいいのかな。

 

(つづく)

 

 

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