「利」という言葉の意味をあなたはどう理解していますか?
私は「利」と聞いて、真っ先に「利益」の二文字が思い浮かんだ。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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本日は「利」について、考えさせられるお話っす。
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『利によって行へば怨み多し』(論語・里仁編より)
世の中の人々は、私もあなたも皆「利」を追って暮らしている。
しかし、利を求めてかえって利を失い・利によって誤られて、際限もなく怨みを作っている。それは「利とは何であるか」ということを知らないからである。
(『論語の活学』より)
”皆が利を求め、利を失い、怨みを作り続けている”
この状況が古から今日まで続き・繰り返されていると「論語」も安岡先生も嘆いている。この場合の「利」とは「私利私欲」のことを指すのではないだろうか。
では、「利の本来の意味」「利の本質」とは何なんだろうか?
ここを自分の頭で考えることが今日の課題です。
安岡先生の答え・解説を聞く前に、自分で「利」と向き合ってみる。
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さっそく「利」の意味を調べてみた。
- 利益(精神的なもの、物質的なもの、金銭的なもの)
- 戦などに於いて、有利・優勢・であること、勝利すること
- 都合が良い、便利、役に立つこと
- 刃物や頭脳などが よくきれること→「鋭い切れ味(鋭利)」
やはり「利益」「勝利」「便利」「鋭利」という言葉に辿り着くようだ。
全体的には「得をえる」というイメージがベースにあるように思える。
んで、更に「利する」という動詞にして意味を調べると
- 為になるようにする
- うまく使う
- 救済する、罪から救う
となり、「利」の方向性がはっきりしてくる。
『状況をより善いモノに変えていく・整えていく』という意志が伺える。
利は「より良い」方向へと目を向けている言葉なのだ。
ついでに「利かす」を調べたところ、これが「利」の神髄かも、と思える意味の示しが!
→”特性を働かせて、特に効果があるようにする”
私的には「これだ!」と思った。
「利」とは自分の特性を活かして、自分+自分の環境(世界)を「より良い」方向に状況・現実を整えていくことなんじゃないか、と思ったのです。
(ここまでが、私なりの「自分の頭で考えてみた」)
では、安岡先生が説く「利の本意・本質」をどうぞ。
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- 「利の本は義」(「春秋左伝」)
- 「利は義の和なり」(「易経」)
という先哲の言葉を借りて、
「本当に利を得ようとすれば、『いかにするこが”義”か』という根本に立ち返らねばならない。利の大本は義であり、利は義の合計なのだ。利を先に求めたら間違ってしまう。」
と語られている。
義を尽くした分、利が得られる。
義を尽くせば、自然と利がついてくる。
そういうものなのだ、ということだと私は解釈しました。
利を求めることは悪い事ではないのです、その点は安岡先生も先哲たちも責めても否定もしていないのです。ただ「利の本質」を見失ってはいけないと説いている。
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白隠禅師の「無尽燈論」には、こうある。
『君子財を愛す、これを取るに道あり』
これは君子は家や国(家族や国民)の繁栄の為に「財を求め、財を愛する」ものだと肯定しており、その愛する財を得るためには正しき道(正道)があり、そこを往かねばならない、と説いているのです。
利を考える時・利を求める時は「私個人」という小さき認識の私ではなく、君子のように「私の家族・私の世界という大きな私(全体の私)」の立場・視点から「良い方向」へと考えることが大事なんでしょうね。
そうすれば、全体を良い方向に整えていくのに 誰の怨みもかうことはないものね。
まーそんなに難しく考えなくとも、誰かを犠牲にしたり、誰かから奪ったり、騙したりするのではない、他人の幸せを侵害しない方法で「自分の利」を追い、自分を満たし常に笑顔でいられるなら「私のいる世界全体の利」に貢献することになるとは思うんだよね。 自分一人→自分の家→自分の半径10mの世界とだんだん範囲を拡大していけばいいのかな。
(つづく)