なるほどな、安岡先生の言ってることはトートの教えと酷似している。
日本の本物の偉大な哲人、安岡正篤氏について未知の方は
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(↑)こちらで安岡先生の言葉とその解説に触れた後に、
次は安岡先生の講義記録である「こちら」をどうぞ
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ちなみに私が安岡先生の聡明さに初めて触れたのがこちらの一冊です。
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では、本日は「宿命を超える」方法について具体的に語る安岡先生の言葉に耳を傾けていきましょう。
運命は動いて止まないが そこにはおのずから法則(数)がある。そこで自然界の物質と同じように、その法則をつかむと、それに支配されないようになる。自主性を深めていって創造性に到達する。つまり自分で自分の「命」を生み、運んでゆけるようになる。「宿命」というのもにならなくなるのである。
運命は動いて止まない、
だが「運命の動き」には法則性(数)がある、という。
この”(数)”ってのが気になるところですが、
どうやら「幾つかの法則性」があるが、その数は無限ではなく有限ってことらしい。
偶然にもカタカムナの解読のために「古語辞典」の裏にある古代文化に関する諸資料的な読み物の中に「数」に関する面白い話を見つけたところだったので今後この「運命の法則性」との関連も考察していきたい。
運命さえも「動いている」以上、その動きにはやはり法則性があるのですな。
運命も「動いて止まない」ということは、この世界の一部であり・この世界の法則性の支配下にあるってことなんだろうか。
だとしたら「運命が私を引っ張っている(運命>私)」というよりは
”この世界の生命・存在たる「私」に運命が付随している(私>運命)”という関係なんじゃないだろうか?
だから動いて止まないし、その動きには法則性の支配にあるんじゃないか。
とにかく、”自然界の物質”も”運命”も その法則を掴むと
それに支配されないようになれるのだ!
トートがいってた「暗黒の束縛」に近いモノを感じるね。
法則を掴むと、逆に自分で運命をコントロールできるようになるわけっすな。
”こうすれば、こうなる”が見えるからかな、未来が見えるってことだろうか。
とにかく、①法則をつかみ、②自主性を深めていき、③創造性に到達する、
という往くべき道が示されたので「真理の法則探し」を続行しいてゆきます。
私の推測では凄く複雑に思えて、実は非常にシンプルな法則でこの世界はできているし動いている、ような気がします。
(つづく)