これ「神避り」と書いて「かむさり」と読むんです。
カムが出てきた…
古代日本の智の探求してたら、日本語のヒビキの神秘構造に触れ、古神道に興味を持ち、遂に「古事記」の解読に乗り出した私です。
では、続きへ
故 伊耶那美神は 火の神を生みたまひしに因り、遂に神避りましぬ。
(「古事記」より)
私は最初にここを読んだ時「神避りましぬ」の部分を、「遂にイザナミが死んじゃったんだなぁ…」と解釈しておりました。
まーある意味では「イザナミ命」としては「ここで終わり」を迎えているのですが、この後、黄泉の国で再び夫イザナギ神と会ったりケンカしたりもするので「死」というよりは「形態・在り方の変化」を示しているのかもしれません。
ここでは「神=カム」なのです。
「カム避り」とは、イザナミ神が「カム界(先天)」の神の座から離れたことを意味しているのではないでしょうか。
つまり、火の神を生んだことを機に「造化の命(めい・みこと)」の座から離れたということではないでしょうか。是がそもそも造化三神の御心のまま(計画通り)なのか否かはわかりませんが、そうせざるおえない状況になったということでしょう。
陰陽のカカワリの中で、これまでは「合う」「合わせる」「調和」「引き合う」ことで生成が行なわれていた。それが「イザナミ神の神避り」によって、陰陽のカカワリにおいて「避け合う力」の発生や、「陰陽の避け合いによる生成」の発生を示しているのかもしれません。
「陰と陽」というのは、磁石のS極とN極のように「引き合い」「合わさり」「ヒトツになる」ものだと思いこんでおりましが、「陰と陽で避け合う」ことにより生み出されるものもあるのだと 「イザナミの神避り」と今後のイザナギ神のみで「三貴子」を生み出す展開から 知ることになった私です。