青人草…どうやら人間のことらしい。
でも「青き人草」って、やっぱり人のはじまりは植物なのか?
古代の智の探求から「古代日本の智」にはまり、日本語のヒビキの神秘構造に魅せられ、今は「古事記の解読」に勤しんでおります、私です。
では解読の続きへ
しかして伊耶那岐命 桃子に告りたまはく、
「汝、吾を助けしが如く、葦原中国に有らゆる うつしき青人草の苦しき瀬に落ちて、患へ惚む時に助くべし」と告りたまひ、名を賜ひ 意冨加牟豆美命と号く。
(「古事記」より)
「青人草」とは、この世(葦原中国)に生きる人々(民衆)のことですって。
ここではじめて「人間」が登場よ~
なんでも「青人草」という表現は 青々と茂る多数の草木を「民」に喩えたものでしってよ~
でも、私は「草」から進化した生命が「人間=青人草」なんだと思っている。
草文明界⇒人間界が生まれた、「人間は動く草だよ~」って話は実は核心をついているんじゃないかと。
「よ~の予言」スレやヴォイニッチとか色々あるんだけど
シュタイナーが説く「地球人類誕生までの流れ」を読んでも「植物⇒ヒト」なのだ。
まーここは今回は置いといて~「うつしき」の方に注目!
”「うつしき青人草」が困った時には助けてやってくれよ~”
ってイザナギ命が桃の実に告命してますよね。
「うつしき」ってどんな意味でしょうか?
古事記原文には「宇都志伎」という漢字が当てられております。
「宇の志を伎により表現(現象化)する人(ヒト)」
それが「青人草」だというております、よね!?
宇の志=カム・一元・根源に発芽した意が思い描いた「世界・物語」を技芸により表現=顕現化・現象化させる存在が「人間」なわけです。
「伎」が示す意の「わざおき」は映画や舞台でその物語の中の人物を演じる人を指しており、「芸者」は演じ・舞い・歌い⇒見る者を楽しませる人を指しております。
我々は一元(大玄霊)の創造する世界の中の演者であり、その世界の物語を進めている存在であり、「(宇の)志を表現し、顕現化する存在」なのです。
”宇都志のウツシ気から成る「青人草」”
とも読める気がしております。
「宇の志」と「人の志」が合一した時、人はイザナギ命がいう所の「真の宇都志伎青人草」になるのかも。
ちなみに、せっかちで早とちりな私は最初「うつくしき青人草」と読み間違っておりまして~「愛しき青人草」って意味だと思い込んでしまい…「人はイザナギ命に愛されし存在なんやなぁ」と自惚れ勘違いを炸裂させておりました。。。
(つづく)