「名づく」ではなく「号く」で記されている。
このことによって、重要なことに気づけた!
日本人なら是非とも「古代日本の智」「日本語のヒビキの神秘構造」「古事記の解読」を趣味に取り入れて欲しいと心の底から皆さんにお勧めしたい、私です。
マジで面白いし、日本と日本人を誇りに思えるし、より日本が好きになるよ~
では、解読のつづきへ
イザナギ命が黄泉比来坂の坂本にあった「桃子(桃の実)」に命と名を与えた場面、こう書かれております。
↓
”名を賜ひ、意冨加牟豆美命と号く”
意):名を与え、「意冨加牟豆美命(おほかむづみのみこと)」と号く(なづく)
先に「名を与え」と言ってるのに、更に最後に「なづく」とある。
ここにちょっと違和感を感じまして、「名付く」ではなく「号く」と記された意図を探ってみたのです。そうしたら、意外なことが見えてきました!
↓
「号」
この漢字が当てられた意図を探るには、この漢字が示す意味と成り立ちを知ることが重要、ということで
意味:呼ぶ、叫ぶ、名付ける、しるし、合図、となえる(唱える・称える)
⇒『声を出し、「特別な名=しるし・合図」を唱える』という示しに見えてくる
更に、この字の成り立ちが示すことはもっと興味深い。
つまり、名を与え・その名を呼ぶ(号く)ということは、
”その与えられた「命(めい)」を成す「命(神・神の使い)」としての神霊力を名に込め、名を声に出し「号く(となえる)」時 その力が発揮(発動)される”ってことなんじゃないか、と。
神名・命名とはそれ自体が「その神霊力を発する呪文(特別な印・徴)」になっているんだと思われます。これが実は「神名・命名」だけではなく、我々の「名」にも同じ作用があるんじゃないか、というのが私のよみです。
そして、その名に込められた力を発揮するには「号く」のです。
声に出し、叫び、その音を揺らすのです。
(つづく)