「日向の橘の小門」これって、『日向灘』地域を指しているのではなく…
「古代日本の智」「日本語のヒビキの神秘構造」「古神道の世界」に魅せられ、古代日本の真理に通じる智慧と技を手に入れるために奔走中の私です。
今は「古事記」に出てくる神名・地名・事物名に込められた「示し・意図・真意」を求め 古事記の解読作業中
伊耶那伎大神が禊をした地が「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(をど)の”阿波岐原(あはきはら)”」
一般的に「筑紫国の日向灘の小戸(狭い水戸)をくぐった地」とされておりますが、私は「黄泉比良坂の坂本」に桃の木があったように、「阿波岐原(禊の聖地)」の境界に「日向の橘」が在ったのではないか、と思えてならないのです。
日向(ひむか・ひなた・びゅうが)
”日に向かって「橘の木」が生い茂る地(場)”を指してるんじゃなかろうか。
「日向=ひなた」と読むだけあって、日当たりのいい場所なのでしょう。
「日(ヒ)の根源に向かい合う地」なのかもしれない。
「ヒ」に「無限の(ム)根源力(カ)」が注がれる場なのかもしれない。
そこに在るのが「橘・たちばな」なんです。
ざっくりいうと「橘=みかんの木(白い花+蜜柑の実)」っす。
でも「橘の実」は特別な存在でして、「常世の国の実」と謂われております。
⇓
海の彼方にある理想郷~不老不死の国
そこは”常に繁栄と調和による恩恵・実りがもたらされている”異世界。
この国の果実として「橘」が 人づてに葦原中国にも持ち帰られた、という。
桃の実が「生命の実」ならば、
橘の実(蜜柑)は「宇宙の実」!
なんじゃないか、と私は考えております。
一つの界=一つの宇宙ってのは「橘の実の形状」とよく似た構造態なのではないでしょうか?
⇓
「みかん」をたべながら、その構造にふれよう!
橘は日当たりのいい海沿いの地に育つそうです。
「み・か・ん」という実の名前も実に神がかってますよね。
(つづく)