この二柱の神の神名には、何が示されているのでしょうか?
カタカムナの解読2周目と「縄文の智恵」と日本語の神秘の更なる追求のために、やはり「古事記の解読」に挑まねば!と奮闘中の私です。
日本語は最初に音があって、その音に対し「言葉の意」を伝えるために漢字が当てられています。故に漢字は「音に対し意図的に当てられている」のです。
神の名のヒビキに、当てられた漢字に込められた意図を探っていきましょう。
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アマ界の生成祖神(二元・二極による生成を象徴する神)である「イザナギ神」「イザナミ神」ですが、なんと頭からの4音・4字は同じです。
「イザナ」が何を示しているのか?まずはそこから見てゆきましょう。
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【伊・イ】
意味:神の意志を伝える人(聖職者)、神を呼び寄せる人
語源:「神を呼ぶ杖を手にしている人」を表す象形文字なんだそうです
【耶・ザ】
意味:一般的には「邪(よこしま)」の俗字とされている
が、私としては「邪」ではなく「耶」の字が当てられていることに意味があると思うので「耶」の成り立ちを調べてみた。
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”人が群がり、寛ぎ住む村(耳+邑)”の意
私はここで「耳+邑」という成り立ちに注目した。
人の群れの「神・宇宙の音(ヒビキ)を聴く耳」の象徴ではないだろうか、と。
人の群れ=人間界・人間の内奥深部にある集合意識
【那・ナ】
意味:美しい、豊かな、ゆったりしている
ここでも先ほど調べた「おおざとへん=邑の意」ってのがイキてまいります。
「邑」=人が住む比較的大きな場所や領域を示す⇒『人間界』のことではないか!?と。
そして「つくり」側が示す意は、「糸や毛がしなやかに垂れ下がっている」だと。
ということは「那」が示しているのは『人間界にしなやかに垂れ下がった神(カム)の糸(意図)がつくる美しく豊かな模様をもつゆったりとした網(構造)』を示しているのではいでしょうか。
ここまで「伊・耶・那」を見てきて、3字とも「人~人の群れが住む場~人間界」を示していることが非常に気になりますよね。
その「群れ為す人々」というのは「伊なる人たち」だといっているのではないでしょうか。
つまり「人間界とは神の意志を伝える・神を呼び寄せる人たちが寛ぎ住む世界」ということではないでしょうか!!
そう考えると「耶」の「耳+邑」の字の存在にも納得できますよね。
では「岐」と「美」が何を示しているのか、に入ります。
【岐・ぎ】
意味:分岐、二又に分かれる、枝分かれ、増え広がる
【美・み】
意味:調和(自然の調和)
※調和こそが「美の本質」であるということでしょう
どうやら「人(ヒト=ヒの重合)界」における、「神音のヒビキ」と「天からしなやかに垂れ下がる神の糸(意図)と毛(気)の綾網」とそのヒビキと神意とカムの気を受ける「伊なる人々」の関わりによって、「アマ界の二元・二極による生成とは、分岐・分裂と融合・調和の呼応(呼吸)によって行なわれている」ということを神世七代の第七代の二柱の神が示してくれているようです。
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「根本的な意味」は図で示すとこういうことか、と。
①から②が生まれ、②から③が生まれるということ、
これが「豊かな広がり(拡張性・拡大性)をもって行なわれている」んだよ~ってこと。
(つづく)