プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古事記を読む】国生み編~美斗能麻具波比:伊耶那岐命 詔りたまはく

二柱の神の「身体の違い」の語り合い部分ではなく、

もっと気になる重要な部分見つけた!

カタカムナや古代日本語(上代語・神代文字・古代のウタ)が示す音のヒビキの構造と示されている内容に触れてから「古事記の解読」に入ることをオススメ中。

 

 

 

では、先を急ぎ 続きへ

尓して 伊耶那岐命 詔たまはく、「我が身は成り成りて、成り余れる処位一処在り。故 此の吾が身の成り余れる処を以ち、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、国生み成さむと以為ふ。生むこといかに」とのりたまふ。

(「古事記」より)

 

日本語は「音のヒビキ」が重要なので読み音を確認

”しかして、伊耶那岐命 詔(の)りたまはく、「我(あ)が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。故(かれ)此の(この)吾(あ)が身の成り余れる処を以ち(もち)、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎ(さしふさぎ)て、国生み成さむと以為ふ(おもふ)。生むこといかに」とのりたまふ。”

 

そう、この男女の身の交わり方トークの内容の方ではなく注目してほしいのは「我・吾・われ=”あ”音」という点と「汝・なんじ・あなた=”な”音」で表現されているところなのです。

 

しかも「私・われ」を示す表現が「我」と「吾」が意図的に変えられている点にあるのです。

 

我・吾(あ)⇔汝(な)

ここにカタカムナの「タ=分離・独立発生」を足すと

「あなた」=我と汝の分離・独立発生の示し

となるのです。

更にカタカムナで「アナ」を読み解くと「生命・現象(ア)の核となるもの(ナ)」となり「アナタ」はその「生命核の分離・独立発生」を示すことに。

 

つまり、我が目の前の相手を「汝」と呼ぶ時、それは我と元は同一の存在で「分離した私」である可能性が示された言葉なのです。

 

んで、これだけじゃなく「我と吾」が意図的に使い分けられている点ですが

「我」の字の成り立ち

  • 人がノコギリを引いている姿
  • 刃先がギザギザした矛の象形

故に一体(全一)からの「我(自我)」の分離を自らの意志によって行っている、そういう状態を示すと思われます。

 

「吾」の字の成り立ち

  • 「五」棒を交差させて組み立てた器具の象形
  • 「口」神のお告げの意

故に「器の上に五をのせて蓋をし、祈りの効果を守る」意味を表す字なのです。

 

私の解釈ですと、

  • 「我」=自我(私の意識・意志)が主である状態
  • 「吾」=神の命を成す器としての自覚をもつ「私」の状態

こういった違いがあるのではないかと。

 

日本語はもの凄く緻密に計算されたカム界とアマ界を繋ぎ・そこに作用する技術も練り込まれた言葉なんじゃないかという思いをより強く持ちました。

 

(つづく)

 

 

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