プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古代日本謎解き】身体覚醒~武産合気:神楽舞と帰神、その心得

最近になって「吾」と「我」の違いを知った私です。

肉体・魂・精神の三位一体が「人」ならば、魂・精神だけではなく「身体」にもカム界と繋がる構造があるはずや!と思い立って、調べ始めた私です。

 

私が辿り着いたのは「合気道の祖・植芝盛平氏」が説く合気の世界っす。

そんでその先に川面凡児がおりました。

 

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界

  • 作者:清水 豊
  • ビイング・ネット・プレス
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黄金体験(合一体験)により合気の神髄に触れた植芝盛平氏が「合気の動き」を神楽舞で弟子たちに見せ・教えていたという。

盛平にとって「神楽舞」は神事の神楽舞と同じように「帰神」に通じるものであったようです。つまり、盛平氏が説く「合気(武産合気)」とは「神人合一」の域に達してこそのものであり、そこがはじまりなのです。

 

黄金体験で盛平氏が体得・感得した「松竹梅の剣」も、神楽舞の時に手にしていた笏板も「柱たる神」であり、その剣・棒・杖と一体になることで「神人合一」の域に達することができたということだと思われます。

 

こうして「合気道」と「古神道」がガッチリと繋がってきましたので、ここで本田親徳が説く「帰神の心得」を確認しておきましょう。

身体・精神・魂の三位一体を以って、「神人合一」の域に達することができれば盛平氏が弟子たちの前で実演してみせてくれた「6方向から発砲されても一瞬で移動し、狙撃手一人を投げ飛ばした」というようなことうを”我々も”できるようになるかもしれないですからね。

 

本田親徳が説く「帰神の心得」とは、

「一意に吾霊魂の天之御中主神の御許に至ることを黙念すべし」

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界より

 

 

天之御中主の御許(おんもと・おもと・みもと)

=天之御中主の御坐所(おられる場所=在り処)

 

そのこ至ることを「一意に黙念すべし」と教えてくれております。

ここで注目すべきが『吾霊魂がそこに至る』という黙念の内容なのです。

 

「われ」で変換すると「我」「吾」の2つが同じ意味を示し現れますが、字が違うのですから、その本質も違いがあるはずです。

 

私は最近になって「我」と「吾」が示し「われ」の違いを知りました。

私にその違いを知るきっかけをくれたのがこちらの一冊です。

 

超ザックリと「吾」と「我」の違いを説明すると、こうなります。

確かに古事記では「吾・我」と書き示して「あ」と読ませていた。

「我=ワレ(割れ・和離)」であり、「吾が客体」であり、「吾が客観的に認識した私(わ・た・し)」であるのです。

 

故に『吾霊魂が天之御中主の御許に至る』ということは、「主体たる吾霊魂」をそこに至らしめねばならないということなのです。天之御中主と一体(合一)するためにはまず「吾霊魂=天之御中主の分霊たる霊(ヒ)」を自覚・覚醒させる必要があるのです。

 

そんなん、どうすりゃいいのさ!?

って思うでしょうが、この先に「ヒント」がたくさんでてきますので色々ためしてみて~

 

(つづく)

 

 

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