先にやっぱ「ここ」を詳しくみておく必要性を感じたので「諸命以ち」へ
上代日本語・神代文字に触れ、日本語の音のヒビキと音の示しの構造に触れてから「古事記の解読」に入ることを強くオススメしている私です。理由は「面白さが倍増する」から。
イザナギ・イザナミの二柱の神が、造化三神からの命を受け「伊耶那岐命」「伊耶那美命」となったところまで見てきましたが、その1つ前にある
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”是に天つ神(造化三神)諸の命(もろもろのみこと)以ち”
この部分の気になる処と向き合っていきたい。
”天津神(ここで特に造化三神のことを示す)は諸々の命(みこと)を以って”
『造化三神』は”諸々の命”を以って、動いている(=造化を成す )ということだろう。
ここで「以って」の意味を確認しておこう。
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「以って」=持ちて(から音が変化したもの)
(意)①手段・方法を示す ②原因・理由を示す ③事の行なわれる時を示す
造化三神の「造化を成す諸々の命(みこと)」とは何だろう?
「諸・命」の漢字が当てられていることにどんな意図があるのだろう?と考えるべきか。
【諸】
意:多くの、いろいろの
語源:言+者⇒者:コンロ(竈)に薪をいっぱい詰め込んで火気を充満させている様子を描いた象形文字 故に「言の炉」ではないかと私は認識しております。
【命】
「みこと」の意味:御言=神の言(神の御命令)
語源:令+口 (冠+跪き神意を聴く人)
ということは…「命」と云う字で「神の御言のヒビキとそれを聴く人」が同時に示されているわけか。
そして「命」と云う字が「いのち」という音も持つことも意図的に重ね合わされているんだと私は思うのです。
「命=伊(イ)の雷(チ)」=生命を生む神の息吹(イ)の根源の霊力(チ)
つまり「諸命以って」という表現から、
造化三神(造化の根源)にあるのは、「神意の言葉は造化の火を起こし」諸々の命によってその造化の火気は天地に充満し、その命(みこと=御言)のヒビキを聴き受ける者たちによって生成(創造)が成されていくということではないだろうか。
その造化の火を起こす「神の御言」のヒビキを受けとる為に「日本語」は創造されている。そういう意図をもって日本語(古代日本語)は創られている。
古代文字に触れて、私はそう確信しております。
(つづく)