自分の適当だった認識にぶっ倒れそうになった…
いい歳してやっと気付けた「間違い続けてきた」ことに。
今日は、なんで古事記の解読に取り組んでいるかの前置きをふっ飛ばしまして~
先を急ぐ(ブゥ~ン!)
イザナギ命からの「われらが御身を合わせ国生みしましょう~」という誘いに対し、
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伊耶那美命 答へて曰さく、「然善けむ」とまをす。
(「古事記」より)
なんと読むかというと、
”イザナミ命(みこと)答えて曰(まを)さく、「然(しか)善(え)けむ」とまをす。”
ここで私はカタカムナ的な「エ音のヒビキ」に「善」の意があることを知り加えた。
「エ」に善の意があることの意味は大きい。
ここで「善」の意味と成りたちを確認しておこう。
「善」の成り立ちを説明しますと、
- 神への生贄(御供え)としての「羊」
- 2つの「言」は原告と被告の発言を示す
つまり「神の正しき審判」を意味しているのです。
「善」が示す「正しさ」とは、
- 道理にかなっている
- 道徳的に正しい
これが神の判断する「善」なのです。
つまり「善⇔悪」の悪とは「道理に反している・道徳的に正しくない」もの全てを指しております。
法律の歪んだ解釈による「詭弁」で裁くのではなく、そもそも「神の審判=この世界のとは秩序の基礎」は「道理・道徳にあっているか、否か」が基準であり、それしかないなのです。
もちろん法律の歪んだ解釈を盾に「悪を無理やり良しとする詭弁家」は道理に反する「悪」だといえますよね。明快・明解で誰にとってもわかり易い「審判」なのです。
んで、今回の問題は「曰さく(まをさく)」=曰く(いわく)の方なんです。
私の無知無能ぶりを晒すようで恥ずかしいのですが、私はずっと古い表現では「日く」と書いて「いわく=言う・申す」の意味があるんだ、と思っておりました。
んで、今回「曰くさ」と「白さく」の違いを調べようとして気付いたんです!
私が犯していたミスに…
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字が!字が!違う~
字の縦横比も違う~
「なんてこった!」
んで慌てて「曰く」の意を調べたら
つまり「曰く」とは、宇宙に意志を声音のヒビキをもって発信し、現象としての作用を起こす意をもって言葉を発するということなのです。
穴が在ったら入りたいくらい、今恥ずかしいっす。
マジで「曰と日」の字の違い気付かなかった~
(つづく)