あ!!「佐・度」ってもしや、
古代日本の智恵や、古代日本の神代文字~日本語のヒビキの神秘構造に触れ、今やっと「古事記」に記されてる古代日本の智の伝承の恩恵にあずかるべく、解読作業中な私です。
では、続きへ。
次に佐度嶋を生みたまふ。
(「古事記」より)
「さどしま」には別名が無い⁉
ここも非常に気になるポイントですが、たぶん「佐度」という言葉にその存在意義というか意図というか本質が「これでもかっ」ってくらい表現されているので、別名が要らないんじゃないか、と推測。
では「さど=佐度」たる意図を読み解いてまいりましょう~
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これは…もしや。
私の勝手な解釈ですが、「これ」が示されてるんじゃね!?
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地上界の造化、国造りは「神の計画=法則」と「人の手」によって成される(為されていく)という示しであり、啓示。
とうことは「日本人は神の造化の意図や計画を知ることができる」わけですよね!?
神の造化に協力するために「人(日本人)は在る」わけですよね。
古代日本人は本当に「自然側」の存在で、「神人」だったのかもしれない。
天・地・海・自然が発する意や感を普通に読み取れていたのかも。
ここで登場する「左手+工具」「右手+ものさし」がどの様なものかというと
古代の「測量技術」に繋がるものじゃないかと思うんですが…これが「縄文の数学」に深く関わってくるかと、参考までに是非こちらを読んでみてほしいっす。
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「佐+度」で単純に、「超える、過ぎてゆく、渡る為の助け」ということで成長・拡大・繁栄という神の造化の意図・性質を示しているとも取れます。
(つづく)