イザナギ命・イザナミ命が天津神から命をうける時の描写が実に興味深い。
古代日本の智を探っている、私です。
「日本語のヒビキと一音一音の意味」に触れてから「古事記」の解読に挑んでみて~めっちゃ面白いから~
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私はイザナギ・イザナミが「神」から「命」になったこととか、「天の沼矛(あめのぬぼこ)」のことばかり気になっていましたが、もっと重要なことが示されていることに「今」気づきました!!
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この場面描写をよーくご覧ください。
是に天つ神 諸の命以ち、伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱の神に詔りたまはく、「是のただよへる国を修理め固め成せ」とのりたまひ、天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ふ。
(「古事記」より)
声に出して詠んでみてほしい。
”是に天つ神(あまつかみ)諸(もろもろ)の命(みこと)以ち(もち)、伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱(ふたはしら)の神に詔り(のり)たまはく、「是のただよへる国を修理め(おさめ)固め成せ」とのりたまひ、天の沼矛を賜(たま)ひて、言依(ことよ)さし賜ふ。”
ここに造化三神による「造化の根源」が示されている。
天つ神=造化三神は
- ①造化を成すための「諸々の命(みこと)」を以ち
- ②神々に「詔り」たまはく
- ③天の沼矛を賜ひて、「言依(ことよ)」さし賜ふ
という流れで「国(葦原中津国) 」の造化をはじめている。
諸々の命(みこと)とは「諸々の成すべき造化計画(+それを表す御言)」。
「詔」とは一字で「みことのり」と読み、その意味は「御言宣(みことのり)」通常は「天皇のお言葉」「大御言(おおみこと)」の意、そして「天皇(天子)の命令を直接に下す文書」とされる言葉なのです。
造化三神の「造化の命(みこと)=造化の意志・意図・計画」が、
⇒神々への「詔(みことのり)=大御言・御言宣言」=言葉となり
⇒天の沼矛(天之御中主神の無限の神霊力が零穂凝になったもの)を命神に授け、「言依さし賜ふ」、これが我々のいる世界の造化(創造)のはじまり。
「言依る」とは一体どういうことでしょうか?
私ははじめ「言葉に依って命を下された」という意味なんだと考えてました。
でもここでわざわざ「言依」を出して委任の完了を示しているということは…もっと深い意図が込めらてていそうだなと思ったんです。
そして「言+依」の意をじっと考察しながら、見えてきたのです。
イザナギ神・イザナミ神の二柱の神がここで「イザナギ命・イザナミ命」という名に変り、造化三神から与えられた「命=みこと」を成す為に動いていくことになりました。
「~命」とは「神の御言を発し、行いを成す神」を示す言葉といわれています。
ここで「造化三神の諸命以ち」⇒「詔」(言葉化)⇒「天の沼矛+言依」とは、「発せられる言葉に造化三神の神霊力(根源の力・造化の力)を纏わせ 『命・御事なす御言葉』とし、その言霊の力を命と共に授けましたよ~ってことだとわかったのです!
すごくないっすか!ここにはっきりと丁寧に示されていたのです。
「聖書」でいうところの「(天地創造の)はじめに言葉が在った」って部分が。
安岡正篤先生が云うように「知命・立命」し、命に目覚め・命に生きる人というのは造化に参加し、命=創造の意志・意図を具象化する「御言・御事」の力を覚醒させているのかもしれません。
実に興味深い…(つづく)