国際社会では当たり前とされる「論理的な話し方」による意見の主張ですが
日本においてはまだまだ情動的な話し方や会話の方が多い気がする・・。
ここに私の探していた「社会のトゲトゲ化加速」の原因がありそうです。
攻撃的な人が増えていると精神科医の片田さんも著書の冒頭で書かれている。
↓
片田さんのこちらの本を読み終え
次に偶然この苫米地氏の本を読んだことで
私なりに「攻撃的な人が増えている」ことや
「トゲトゲ。ギスギスする社会」の原因が見えてきました!
相手と自分の意見が違う場合の話し合いに
日本独特の文化によって育まれた無意識が影響しているようです。
- 国際社会は論理的な話し合いが基本
- 論理的な話し合いの論争ポイント
- 日本人の多くは「情動的な話し方」
- 情動的な話し合いの論争ポイント
- 語られないだけで実はある②と③に注意!
- 受け止めてからの「WHY?」を心がける
国際社会は論理的な話し合いが基本
国際社会というよりも
自分の意見と相手の意見が違う時の
理解や結論を出す場合には
「論理的な話し合い」が普通ですよね。
自分の意見を相手に納得してもらう、受け入れてもらうなら
- 主張
- データ(主張の裏付けとなる事実)
- データが主張の裏付けとなるという説明・論拠
これら3点を1セットで話すんです。
論理的な話し合いの論争ポイント
↓
まずは相手の主張①を受け止めてから
②と③が本当に主張の裏付けとして合っているのか?
が論争ポイントになりますよね。
相手の主張そのものをいきなり否定も賛成もしないのです。
相手の主張理由の方をしっかり吟味して
納得して受け入れ賛成するのか?
矛盾点があれば指摘しお互いの共通目的に向けより良い意見を出していく
わけですよね。
相手と一緒に「その主張」をしっかり考察するわけですよね。
意見をぶつけ合うんじゃなく「一緒に考える」にちゃんとなってる!
ところが
苫米地博士も著書で書かれていますが
日本人のほとんどが論理的な話し合いの場でも
「情動的な話し方」をしているのです。
↓
日本人の多くは「情動的な話し方」
これは耳が痛い・・・
①の主張はあるがデータも示さず、
データと主張をむすぶ説明もない
これが日本人によくあるケースだというのです。
確かに心当たりありすぎる!!
日本の「言わなくてもわかるだろう」文化のせいだと博士はかかれていました。
狭い国土の中で生活や文化を共にしてきた民族性が
誰かが主張した時にその裏付けとなるデータは皆も共有しているという意識がある、と。
確かにね。
「察しろ」「空気よめ」文化ですからね(^^;)
私はでもここに攻撃的な人が増え、ギスギス・トゲトゲ社会を
加速させている原因があると思ったんですよ。
情動的な話し合いの論争ポイント
②と③がないというコトは
その主張理由ではなく
①の個人の主張そのものが論争ポイントになっちゃいますよね。
主張そのものを受け入れるか?拒否・攻撃するか?
という殺伐とした状況・・・怖っ
でも私が問題に思ったのは
この見えない②と③なのです。
言わないけど在るんですよ。
日本人の情動的な話し方にも②と③は実はあるの。
語られないだけで実はある②と③に注意!
それがこちら
主張している本人が「当然」「当たり前」「常識」って思っていることだからこそ
わざわざ言わないわけですよね。
なんなら相手も同じ「当然」「当たり前」「常識」って思っているはずと疑いもしない部分。
「世間の常識」ほど実態のないモノはなく
個人個人「常識」ってかなり違いますよね。
でも①の主張を否定された時って
この隠れた②③の部分もひっくるめて否定された気持ちになるんですよ。
自分の主張と一緒に自分の常識や当たり前と思うことが
納得いく論理のすりあわせなく否定されると
「自分自身が否定された」ような気になりません?
人格まで否定されたような気に・・。
ここ!
ここが原因じゃないかと思うんですよ、私。
受け止めてからの「WHY?」を心がける
いきなり理路整然と論理的な会話って私にはハードル高いので
相手の意見を聴くときは
まずは1つの意見として受け入れてから
自分と違う意見の時は
「どうしてそう思うの?」と
相手がその主張に至った理由や根拠を
聴いてみる習慣を身につけようと思います。
自分の中の「当たり前」や「常識」で否定しないようにしよっと。
「論理的な話し方」は身につけないといけないね。
英語も勉強していることだし、国際社会でも自分の主張できるよう
きちんと論理的な話し方覚えよっと。
では、また~☆