よく、子どもにこの演技させたなぁ…
でも、エクソシストのメーガン役よりは、マシかぁ。。。
【映画 危険な遊び~感想】
子供の頃見て、ラストが強烈に印象に残っていた映画です。
愛情をもって善き母・父が育てたとしても、”邪悪な子は育つ”ということは心に留めてくべきことかもしれない。
マコーレー・カルキン君がさすがの演技力っす。
そういったずる賢く・邪悪な子にしか見えない表情見せてくるぜ~
彼の妹役の子が「めっちゃマコーレ―・カルキンに顔似てるなぁ」と思っていたら、まさかの本当の妹さんのようですぜ~
そんでな「なんでこの子はこんなに邪悪になってしまったんや?」と思い、その機転に何があったんだろうと探りながら見ていてわかったのです。
「子供の中にある純粋な邪悪」=「人の心の中に先天的に悪魔的要素がある」
のかぁ…と思いながら見ていたんですが、どうもそうじゃないっぽいな…と。
「良い子」の振りも上手だし、社会的な善悪は分かっているようだから。
じゃぁ、なんで⁇と思っていたら、彼が気になる言葉を言った。
『やっちゃいけないことなんて何もないんだ』と。
それを踏まえ、彼が妹の命を狙う点と事故死した弟の存在が気になり…最後は母親との会話の中で「ああぁ、そういうことか」とわかった。
今まで両親の愛情を一身に受けてきたのに、弟が生まれたことで環境が一変する。
母は生まれたばかりの弟にかかりっきりだし、今まで自分のものだった「お気に入りのおもちゃ」もいつのまにか、弟のモノに…『お兄ちゃんなんだから』我慢を強いられる状況のなかで、我慢で「心」に圧がかかるたびに捻じれていって嫉妬や憎しみから「邪悪な心」が育っていったようです。
なるほどなぁ…カインとアベルのようなことなんかの~
弟の死、以降はその時の自分を正当化するために邪心が加速度的に肥大していったんじゃなかろうか。自分を責める「善心」なら、いっそ捨ててしまったほうが楽だったんじゃないかの~
子どもの中にある「純粋な邪悪」が育った、のだとしたら
私の推測では「ダミアン」みたいな子になるはずなんや。
それとはちょっと違ったんで、気になったのさ~
しかし、この映画は「母親」の立場でみるとクソ辛い作品だと思う。
子どもが生まれたからって急に完璧で素晴らしい父や母になれないように、下の子が生まれたからって急に「お兄ちゃん」にも「お姉ちゃん」にもなれないもんだ。
表向きは「とってもいい子」だけど、実は裏の顔はとても邪悪…そんな子は少なからず実在しているような気がしてなりません。そんな子達に大人はどう向き合えばいいのかもわからない。。