静かで美しいけど悲しく重い映画です。
「考えさせられる」ことが多く、どっと疲れた・・
でも映像も役者さんたちの自然な演技もすべてが芸術。
遠くから下す良し悪しの判断と
当事者として感情が揺れまくる中迫られる判断では
まったく難易度が違う。
先日AIにインプットする
倫理観の群知能データの話を書きましたが
やっぱりここは人と神の領域な気がします。
時間があるときに
静かにじっくり見て欲しい作品です。
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- 「あさがくるまえに」のあらすじ
- 突然奪われた少年の未来~生と死の境界線
- 遅れてきた別居中の夫と共に息子の脳死を知らされる母
- 夫婦が寄り添いだした決断と命に寄り添うトマ
- 息子との別れを覚悟しながら生きる母
- 生と死と愛と悲しみをそれぞれが抱え乗り越えていく
「あさがくるまえに」のあらすじ
静かな早朝に
恋人が眠るベッドを飛び出し
仲間とサーフィンに向かう17歳の少年シモン
この写真の少年がシモン
仲間の運転する車でのサーフィン帰りに
事故にあい脳死状態になります。
病院に駆け付けたシモンの両親に
医師は脳死であり回復の見込みのないことを継げます。
機械か心臓が止まれば亡くなる状態だと。
そしてまだ状況を受け入れられない両親に
臓器提供の話がなされ、時間が限られていると告げられる。
シモン一家の動揺を描くと同時に
同じ時間を生きるクレール一家の様子も描かれる。
クレールは息子2人を育てるシングルマザー。
彼女は3年前に発覚した変性心臓疾患により階段も昇れない程
心臓が弱っていて死が近いことを覚悟しながら暮らしていた。
シモンの心臓がクレールに移植されることになり
心臓があわなかったり、手術中の死も覚悟で彼女は
手術室に向かう。
2つの家族と「神が与えた命」を超える領域に挑む
全ての人の葛藤が詰まったお話です。
突然奪われた少年の未来~生と死の境界線
シモンは好きな女の子とつき合いはじめ
仲間とサーフィンを楽しみ
その日々は輝いて見えた。
でもその瞬間は突然訪れた。
サーフィン帰りの道路はアイスバーン・・
後部座席では朝のサーフィンを楽しんで眠気に襲われ
ウトウトするシモンと友人。
当然だが運転している友人だって眠気が・・
しかも道路は長い直線なのだ
のどかな田舎道で他の車はまったくいない
だんだん道路が揺らぎだして波のように・・
※「あさがくるまえに」より
「ここ」の表現がめっちゃ印象的!
そして運転手の意識が落ちた時
大波にのまれるように事故にあい
シモンは脳内出血多量で脳死状態で病院に搬送された。
病院を訪れたシモンの母は
息子が昏睡状態で危険にあることを知ると同時に
シモンと一緒にいた友人二人はシートベルトをしていたため
軽い骨折で助かったことを知る。
シモンはシートベルトをしていなかったのだ。
他の友人はシートベルトにより助かった。
自分の最期に繋がる選択を彼自身がしていたのだ。
遅れてきた別居中の夫と共に息子の脳死を知らされる母
実はシモンの母がひとりさきに駆けつけた時は
まだ「息子は昏睡状態」としか知らされていなかった。
別居中の夫が到着したところで
両親を前に医師がシモンの「脳死宣告」と
「臓器提供」の話をはじめた。
臓器提供の話を両親にしたトマ(医師)は
両親の意志を尊重しますが
心臓が止まれば移植はできなくなるので
時間が限られていることも話します。
息子の脳死と回復の可能性がないことを知らされ悲しむ両親に
続けざまに語られる「臓器提供」話・・
臓器提供の話になった時の母の目に彼女の感情のすべてが出ている・・
※「あさがくるまえに」より
この時父もまたトマに怒りをぶつけています。
「あなたには子供がいないでしょう」
だからそんな残酷な話ができるんだ!と言わんばかりに・・
この脳死宣告のシーンで印象的だったのは
シモンの父が息子の死を知り
「私のせいだ。私が息子にサーフィンを教えたからだ」
と自分を責め泣いたこと。
シートベルトの件を知ったからかもしれませんが
シモンの両親は息子の死を「誰かのせい」にして責めることを
しなかったのです。
- 彼女の家に泊まらなければ・・
- 友達とサーフィンに行かなければ・・
- 運転していた友達が居眠りしなければ・・
こういった責めを一切しなかった、その姿が印象的です。
夫婦が寄り添いだした決断と命に寄り添うトマ
夫婦は寄り添い肩を貸し合い泣きながら
時間の迫りくる中、出した答えは
「臓器移植に同意します」というものでした。
どの臓器が摘出され
誰の元に向かうのか?
それは両親にも知らされないといいます。
ただシモンの母が1つだけトマにお願いしたことは
「目だけはやめて」ということだけ(;;)
トマは両親の意をくみ
「私が移植の現場でシモンに寄り添いしっかり見守ります」
「シモンに伝えたい事は何かありますか?」
と言うのです(;;)
臓器提供側のシモンの手術にも細心の注意と敬意をもって行うことと
手術痕は残るが綺麗な状態で両親の元にシモンをかえすことを約束したのです。
なんか、このシーンもグッとくるんですよ(;;)
母が息子の目はそのままにしてって言うのも・・なんかわかるなぁ
顔はキレイなままなんですよ、シモン。
眠っているようにも見える・・・
トマがね、いい医者なんです。
毎日多くの生死にかかわっている中で
感覚がマヒしてしまいそうなのに
「救える命」と同じように「救えなかった命」と「奉げられる命」に
敬意を示してくれている。
人の尊厳・・・大事だよね。
シモンの臓器ではなく「シモンの奉げてくれた命」と
思って扱ってくれている。
移植手術の時のトマがシモンに語る言葉に注目です(;;)
息子との別れを覚悟しながら生きる母
上がシモンで下の女性がクレール
シモンの心臓を受け取る女性です。
だんだんと弱る自分の心臓に
自分の死が近いことを感じながら
それも自然な運命と静かに受け入れはじめているシングルマザー。
息子二人はもう少年ではなく青年の年齢
彼女なりにまだまだ下の息子が心配ながらも
しっかり者の兄がいるので
息子たちと別れる覚悟もしはじめているようで・・
音楽家だった彼女だか
今では階段を上るのも息があがってしまい
とてもじゃないがコンサートやツアーに行けない。
もう最後かもしれないと
昔の恋人の演奏会を訪れる彼女。
静かに死を受け入れ
準備しているようにも見える彼女に
突如訪れた心臓移植のチャンス。
でも彼女はこの手術に臨むにあたっても
「死」を意識しており
息子たちと最後かもしれない時間をかみしめます。
明るい未来に向かって輝く日々を送っていたシモンと
対照的なクレールの別れの覚悟の日々が描かれています(;;)
生と死と愛と悲しみをそれぞれが抱え乗り越えていく
とても印象的なのが
それぞれの家族や友人、恋人たちが
寄り添い眠るシーンです。
※「あさがくるまえに」より
オープニングはシモンと恋人が寄り添って寝ているシーンなの。
他にもこういったシーンが登場するので注目です。
温もりを感じられる距離感を大事に
その時を大事に
そんなことを教えられる映画だった。
死のない生は無く
悲しみのない愛もまた無い
人生は思い通りにならないことだけ
でも人間は「神が与えた命」を超えていく
臓器移植って関係者は悲しんでいる時間もなく
決断を迫られるんですね・・・知らなかった。
というか、考えもしなかった。
当然、救える命はできるだけ救うべきだって思うけど
自分の大事な人の死を受け入れ
その人の臓器を他の人に提供する決断するのも難しい。
静かなだけに余計にリアルに感じられる作品でした。
では、また~☆