実写映画(ハリウッド版)から先に見たので
少佐(素子)の向かう方向・見ている方向の違いに戸惑いを隠せない私です。
私の場合、先にこっちを見て
⇓
それからオリジナルを見た。
スカーレット・ヨハンソンの少佐・素子は素晴らしいと思う。
物語上での少佐・素子が見ている方向が
実写映画とアニメでは逆なのではないだろうか?
(原作漫画はどっちやろ?未読なので気になる)
- アニメ映画 GHOST IN THE SHELL~あらすじ
- ◆見どころ①イノセンスと呼応するオープニング
- ◆見どころ②嘘の記憶を植え付け人間を操る「人形使い」
- ◆見どころ③実写版と違う少佐が見つめる方向
- ◆多様性が進化を生む鍵
アニメ映画 GHOST IN THE SHELL~あらすじ
映画の冒頭に時代背景を文字で示してくれる
企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来
※作品冒頭より
超高度ネットワーク化・電脳化する社会の中で
凶悪化していく犯罪に対抗する為
政府が精鋭サイボーグによる非公認特殊部隊を結成(いわゆる隠密)
それが公安9課・攻殻機動隊
ある日、国際指名手配犯の「人形使い」と呼ばれる
凄腕のハッカーが日本に現れるという情報が公安9課に届く。
あらゆるネットワークに入り込み操作できる人形使いを追う中で
この任務に隠された秘密に近づいていく少佐たち。
そして人形使いは自らの意図を以って少佐の前に姿を現す。
人形使いと少佐が出会う時
この世界に大きな変化がもたらされる。
※以下、ネタバレ込の感想・考察です
◆見どころ①イノセンスと呼応するオープニング
3年後を描いた『イノセンス』のオープニングは
この作品のオープニングと対を成しているようです。
水っていうか液体の中から少佐が生まれてくるところと
鈴の音と祝詞のような歌声に注目を
まるで「神聖な儀式」なのです。
カタカムナの解読をしていると
海・ウミ・海面=界面
いわゆる水面から生命が出現することに敏感に反応してしまう。
◆見どころ②嘘の記憶を植え付け人間を操る「人形使い」
人間というのが「記憶」を頼りに生きている生命体だということが
鋭利に表現されています(;;)
ここでさらに注目したいのは
その「嘘の記憶」を植え付け人間を操る「人形使い」の正体が
電脳プログラムだということ!
人形使いもまた「情報の海で発生した生命体」なのです。
我々生物と同じはじまりですね。
その発生の場がコンピューターの中か外かの違い。
我々も人形使いも「海」から発生している。
カタカムナが説く通りや~「海・生み・ウ界面から出現したミ」
んで、人形使いが人間に記憶を植え付け操れるという事は
我々も情報物という事なのです。
◆見どころ③実写版と違う少佐が見つめる方向
実写版の少佐は「オリジナルの自分」生身の人間だった頃の自分の
アイデンティティーを探して深く潜っていったが
アニメ映画版の少佐・素子は
自分がほんのわずかな人間・素子の脳と義体の融合物にして生命体
というのを受け入れきっており、
それを踏まえて「進化」を求めている。
そうアニメ版の素子は少佐としての進化を模索していた。
それは義体の性能向上をいっているのではなく、
「生命体・生物」としての進化なのだ。
義体の体は歳をとらない代わりに
生物的な進化をしない。
生物的な飛躍的進化を求めるならば
「その体、形」に留まることが行く手を遮っていることに
彼女も気が付いていたのかもしれない。
◆多様性が進化を生む鍵
カタカムナでも「カの差」が
創造根源の力に多様性と方向性を生むと説かれている。
なんと、同じようなことを「人形使い」が語るのだ。
少佐と同じく「人形使い」も進化・更なる上位シフトを求めており
そのためにはほぼ全知全能の完全体であろう今の己ではダメだという。
己をコピーで増殖しても、単一性のままで
それは1つのウィルスで全滅する可能性を意味するという…(確かに)
だからこそ、少佐と融合して変化したいのだと
「多様性が生まれること」が上位シフトの時となるんだとか。
神秘幾何学の1が自分を表現する為に「2」を生成したのと同じや~
生命としての進化の道は11次元にあるのかもしれない
我々に見えている部分はほんの一部なのか。。
なんだかんだで
少佐とバトーの関係って上位シフトした「愛」だよね。